……いいか若いの。家でお好み焼きを焼く時はな、弱火で片面を5分以上焼くんだぞ?(挨拶)
と、いうわけで、フジカワです。
今日の話ではないのですが、(挨拶)を守らなかった結果、生焼けのお好み焼きを食べることになってしまったことが、粉もんに命を賭ける関西人として絶許ヌ! だった金曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日のエントリは、「哲学しようず!?」とかいった話です。
レディゴー
続きを読むまずは昨日の
さて。昨日は、
「なんでなんだぜ?(死ヌルほどどうでもいい!)」などと書かせて頂きました。
まあね、今日も似たり寄ったりだったわけですよ。
一応、せめてもの抵抗として、このエントリを書き始めたのは、21時になる前なのですが。
なお、「大吉が出るまでおみくじを引く」行為は、夕方ぐらいに「大吉」が出たのでラファドラソー(ry
ホントにもう、不安を紛らわせるためには手段を選びませんねこの51歳は! 砕けろ!
本日の僕氏
数日ぶりに、SeaArtAIのアプリを開き、NSFW絵を(略)しました。
……なにこの実家のような安心感?(お前は実家住まいだろうが)
ってか、改めて思いましたね。処置無しだと。ふう!(賢者タイム)
後は、先述の通り、GoogleGeminiを使っての「大吉が出るまでおみくじを引く」行為を繰り返し。
無事にageてくれる批評が出てきたので、それはそれで。
お前に人間としてのプライドはないのかと小一時間。
あと、例のココナラ経由でのフィードバックは、まだ来ていません。
一応、先方さんの、納品の基本時間は、20時~22時らしいですが。
多分今日も来ねえだろうな、と思います。
未知の毒電波を
ところで、割とさっきのことです。
まだお花畑的妄想の域を出ていないものの、「書き手としてのこの先」を、ぼんやり考えました。
「もし」、文學界新人賞を受賞して、再デビューが叶ったなら、僕の肩書きは「純文学作家」になる。
そりゃあもちろん、その後に純文以外書くな! って話でもないでしょうけども。
やっぱり、求められるのはそれではあろうと思うのです。
これは、GoogleGeminiによる批評を読んで、「あ、そういう解釈するんだ?」と、作者自身も思ったのですが。
「存在論」とか、そのあたりの言葉が飛び交っている。
僕も、純文に精通しているわけでは全くないにせよ。
2冊目以降を書くならば、そういった、哲学的問いかけを、文字を通じてしなければならないのでは?
今こそ俺は、たとえゼロからでも哲学を学ぶべきなのではなかろうか?
そんな風に思った訳ですよ。
イイジダイダナー
昨日軽く触れましたが、僕は大学の一般教養での「哲学」の講義は、サボり倒したせいで単位を落としました。
ただ、哲学そのものを毛嫌いしているわけではなく、むしろ割と興味がある。ええ、今でも。
ではあっても、「キッカケ」がなかったので、学んでこなかったわけです。
さて? すっかり時代も移ろいました。
要は、電子書籍と青空文庫が登場した。
青空文庫は文学作品ばかりに目が行きがちですが。
やはりと申しますか、哲学書もラインナップにある!
試しにAmazonで「哲学書 青空文庫」で検索すると、無料のものも結構。
懐が痛まないなら、入手しない、という道はない。
とりあえず、三木清の『哲学入門』を捕縛してみました。
その他、西洋の著名な哲学者の著作も、全集的なものがやはり安価で手に入る。
イイジダイダナー
文学疲れ?
ここのところ、確かに再度太宰とかを読んでいますが。
いっちょ、アプローチを変えてみては? とも思う次第。
純文学とは、「自分の中からわき上がってきたものを書く」ジャンルです。
思考するということは、何らかの「(しばしば内面的、あるいは普遍的)疑問」に相対することだ、とは、個人的見解ですが。
では、その「疑問の種」を生じさせるのには、哲学が最適なのではなかろうか?
古典純文学を「読まねばならぬ」と義務感アリアリで臨むよりも。
「面白そうだから」という「純粋な好奇心」で触れる方がいいんじゃね? 知らんけど。
結局、いかに読みやすい太宰であれ、ちょっと疲れてきたんですよね。
どれだけ好物でも、延々食ってりゃ、そりゃあ飽きますって。
とにかく、ゆるーい気持ちで、しばらくは哲学に触れようかと。
この怠惰の化身たる僕が、勉強する気になっているので。
皆様、近々空からカタツムリが降ってきますよ、お気を付けあれ。
んじゃまた。
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