無茶をしたツケなのか? とか色々。

日記
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5月のブログ再開以来、のべ訪問者数が、17,000人を突破致しました。1日当たり、80~90人の方々にお越し頂けているわけで、辺境の個人ブログとしては、上出来ではないかと思います(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。うさんくさいものは、その怪しさに比例して、一見は魅力的に見える、と言うのが、僕の持論なのですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。僕は、そのうさんくささを承知の上で、あえて踊らされるのが、時々面白く感じることがあります。そんなことは、そうそうないんですけどね。

さて。午後は、トゥルーぼっちのせめてもの抵抗として、無茶を押してコンビニスイーツを買って食ったわけですが、そのツケは、夕方になってから来ました。はい。壮絶な胸焼けがして、危うくゲロを吐きそうになるほど、気分が悪くなりました。慌てて、『神の薬』こと、太田胃散を飲んで、何とか治めることができたのですが、まさか、あそこまで気分が悪くなるとは思いもよらず、つくづく、無理はするもんじゃないな、と、身に沁みた次第です。自分への慰めのつもりが、とんでもないことになりました。いやはや。

で。世間的なクリスマスも、もう暮れて行きます。今日が終われば、今年もあと6日であり、どこをどうひねくりこかしても年末なのですが、今回の年末年始は、家から一歩も出ない、と決めているので、個人的感慨としては、割と薄めです。例えば、年始のおめでたさに当てられて、僕の病気が少しでも楽になる、とかなら、また話は違ってくるんですけど、そんな事なんて、絶対にあり得ませんし。

一時期は、病気の平癒を祈願するために、近所の神社とかも行きましたけど、何らの変化もありませんでした。願いを叶えるために必要なのは、本人の気持ち(あるいは努力)次第であり、神頼みというのは、乱暴な言い方をすれば、保険的、精神的気休めなんだなあ、と思います。その『気持ち』が、今の僕は、しっちゃかめっちゃかです。人の心だけは、いかな神様とて、簡単に操れるものではありません。

もし、祈るだけで精神病が完治するなら、日本だけにとどまらず、世界中で、精神を病んだ人など、たちどころにいなくなるはずです。ただし、『祈る』という行為を否定するわけではありませんし、僕は割と真面目に、神様の存在を信じています。

『祈り』は、『思念の集合体』であり、その数が多ければ多いだけ、次第に『力』を持つと、僕は考えています。残念ながら、『届かぬ祈り=どれだけたくさんの人々が祈ろうとも、叶わない物』というのも、世の中にはありますけど。例えば、世界中の完全な平和であるとか。

このあたりの宗教観のようなものは、大学時代から持ってまして、入学間もない頃、明らかに新興宗教系のダミーサークルと思われるところから勧誘を受けた際、その相手に、僕の考えをとっくり聞かせてやったら、逆に、さらに猛烈な勧誘を受けることになったのも、ある意味いい思い出かなと。当然断りましたよ?

とまあ、色々書いているうちに、辛さが増してきました。先述の通り、吐き気そのものは治まったんですけど、メンタル面のダメージが、まだ残っていると思われます。

これ以上、自分で自分の首を絞めたくもないので、今日はこの辺で。

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