巷に溢れる『暴走老人』について、僕なりに思うことなど。(雑記)

日記
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昼イチぐらいで、どーしても不可避の用事があって、腹を括って近所のキャンドゥまで行って来たんですが、PayPayへのチャージが、いつの間にか3,000円からになっており、大ダメージではないにせよ、地味に痛かったです(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。近年の100均は、驚くべきものまで100円で売ってるので、かなり侮れないと認識を新たにしたのはまだ許せるとしても、ほのかな謎の頭痛を覚えており、大変素敵にファッキンな夕方のひととき、皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて。タイトルの話なんですが、昨今のコロナ禍のせいで、傍若無人なご老体の話をよく聞きます。『暴走老人』と言われているそうですね。それに関連して、たまたま昨日、Facebookのタイムラインをぼんやり眺めていて、ITMediaの、『家の中でも管理職のように振る舞い、嫌われる65歳元大手電機メーカー役員のリアル』という記事を見つけました。

記事を一通り読んでみたのですが、何周か回って、悲しいやら情けないやらという気分になりました。一言で表すなら、『世の中、公私の区別ができない人間が、ここまでいるのか』ということです。

いかに会社組織で偉くなろうが、ご大層な肩書きを手に入れて、数多の部下をアゴで使える立場になろうが、それは所詮、『会社という“箱庭”』の中だけの話です。なるほど、仕事に対してプライドを持つのは、大いに結構です。実力が伴ってればですが。ただし、『会社の外=一般のコミュニティ(家庭内含む)』で、同じ権力が通用すると思ってる時点で、まずおかしい。

『俺は偉いんだ』と、退職後も思いたい気持ちは、ある程度は分かるにせよ、やはり、その手合いのご老人には、致命的なまでに、『簡単な想像力』に欠けていると言わざるを得ません。少しでもそれを持っていれば、『会社は会社、家庭は家庭』と、『明確な線引き』は容易なはずです。

はっきり申し上げて、定年退職後も、『かつての会社での威光』にすがって振る舞うのは、みっともないと言うより、無様の一言です。前掲の記事内でも触れられてますが、家族と言えども、突き詰めれば『他人』です。そして、家族は(かつて自分の思い通りに動いてくれた)会社の部下ではありません。

まして、ヒトというのは、『他者から強制されること』を、何より嫌います。子どもの出来が悪いからと言って、『できていた自分』と比べて怒るなんてのは、子どもからすりゃあ無茶振りの極みであり、嫌悪感を覚える以外に、何があるかって話ですよ。

出世して偉くなることは、ある側面では立派です。ただし、『その肩書きは、オールラウンドかつ、生涯万能では絶対ない』という、一歩引いてみりゃあ誰だって分かることに、なぜ気付かないのか?

世の中の一切合切が、自分の思い通りになると思ってる時点で、傲慢そのものであり、誰から見ても『何様?』と思われるのは、当たり前です。そんな勘違い人間が、他人の尊敬を集められる道理がない。

要は、『もし、自分が逆の立場だったら?』ということに、全く想像が及ばない、自己中を煮詰めきったような、ある意味では哀れな老人が、世の中掃いて捨てる程いる、ということでしょう。仕事に生涯を賭けるのも結構ですが、『肩書きを一切持たない自分』というのを、少しは考えてみた方がいいんじゃないかと。

非常事態というのは、人間の本性を、容赦なくあぶり出すものです。『暴走老人』は、率先して『自分の、人間としての底の浅さ』を、周囲に盛大にアピールしてるだけです。自分で(社会的な)自分の首を絞めていることに、早く気付いた方がいいと思います。迷惑を掛けられる側は、たまったもんじゃないですからね。

まあまあ、世はなべて因果応報です。悪行のツケは、巡り巡って自分に跳ね返ってくるもの。自分の周囲に誰もいなくなって、それでも原因が自分にあると気付かなかったら、かつてどれだけ偉かろうが、高学歴であろうが、言ってしまえば『欠陥人間』なわけで。『社会性』という言葉を、一度辞書で引いてみろと言いたいです。

以上、書きたいことはおおむね吐き出したので、今日はこの辺で。

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