理由はどうあれ、朝は早起きした方が、気分的にかなりマシであることが分かりました(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
過敏性腸症候群の悲哀を、嫌と言うほど味わっている水曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日のエントリは、「叔母の葬儀!」とかいった話です。
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まず、お知らせから。
拙作、『破戒教師は青空に笑う』。
次話を公開しました。
なろう
カクヨム
ノベプラ
例によって、お好みの所でドゾー
そして昨日の
そんなわけで、昨日は、
「仕切り直し!」などと書かせて頂きました。
一応、今回好評を頂いた方は、「2往復まで、質問可能」ということ。
なので、先ほど、2往復目の質問を投げておきました。
今回書き上げた作品、かなりの確率で。
「一次すら通らない」かとは思うのですが。
それはもう、自分の未熟さゆえ、ということにしておきます。
それでも、足掻くだけは足掻いてみますけどね。
さあ、今日だ
さておき、本日は、父方の叔母の葬儀です。
朝7時に起床して、モーニングルーティンをこなし。
その後、喪服に着替えました。
当然、ネクタイも、タイピンまでも、喪服仕様です。
身支度を終えて、朝8時40分に、姉の車で出発。
途中で、母方の叔母2人と合流し、会場へ。
……そのさなか、腹が痛くなってきたので。
姉に頼んでコンビニへ寄ってもらい、難を逃れたりしました。
創価学会スタイル!
今の今まで知らなかったのですが。
どうやら叔母は、創価学会の信者だったらしく。
葬儀も、その形式で執り行われました。
何百回、「南無妙法蓮華経」を唱えたのやら?
また、創価学会の代表などからの弔電もあり、「うわあ」とか思いました。
叔母以下、一般の学会員には罪はないとは言え。
個人的には、どこまでも、「カルト」の三文字が拭えず、気分は少し複雑でした。
なお、叔母の死に顔もみたのですが。
驚くほどに安らか、かつ、若々しいもので、軽く驚きました。
出棺、からの?
こういうのを、「タイミングよく」と言っていいのか? は疑問ですが。
近隣の斎場に、すぐに空きがあったらしく、出棺後、そのまま僕達も、そちらへ向かいました。
焼却炉に入り、荼毘に付される、叔母の亡骸。
ああ、これでもう、ほんとうのお別れなのだなあ、と、しんみりしました。
で。斎場の職員さんが、
「14時15分に、再度お集まりください」
とのこと。
時間も時間だったため、昼飯を食べるために、車で移動。
少し離れたところに、「サンマルク」がある……と言うか、最寄りには、そこしかないとのこと。
選択肢がないのはどうなんだろう? とは言え、仕方ない話でした。
サンマルク!
親族一同、合計12人。
これだけの人数、入れるのか? とは思ったのですが。
いざ、くだんのサンマルクに入ると、中がメタクソ広く、余裕でした。
まあまあ、適当にハンバーグのランチを頼み。
食べ放題のパンと共にムシャー! したのですが。
一通り食べ終わっても、かなり余裕があったせいで、時間を潰すのが大変でした。
つうか、軽い親族内接待が発生したせいで、ちょっとしんどかったです。
遺骨!
そんなこんなで、時間になったので、サンマルクを撤収し、斎場へ戻りました。
完全な骨となって出てくる、叔母。
職員さんの解説を聞きながら、各部位のお骨を、骨壺に収めていきます。
……人間、死んでしまえば、骨しか残らないのだなあ、と、またもしんみり。
ともあれ、式次第の全てが終わり、その場で解散となりました。
姉の車で、家に帰ったのは、だいたい、16時30分頃。
今さらなのですが、「夏用の喪服」というものの、持ち合わせがなかったため。
冬物のそれを着ざるを得なかったんですよね。
おかげで、まあ暑いこと!!
ポケットタオルが、ぐっしょりになっていました。
急いで喪服をキャストオフして、ラフな部屋着に着替えましたさ。
ふー、しんどかった。
終活の重要性
去年の夏に孤独死した、母方の叔父の例なんかは極端ですが。
普通に暮らせている人間である以上、「関係性」は、どこまでもついて回ります。
そりゃあ、ある程度の年齢になれば。
「終活」が重要なのが、よく分かるというものです。
僕は末っ子なので、「多分」一族の中では、最後まで残るとは思いますが。
いざ、「その時」が来たなら、想像以上に煩雑になることでしょう。
さ、ありとて、「この日に死ぬからヨロ!」なんてスケジュールを立てられるはずもない。
難しい問題です。
多分僕も、生きてせいぜい、残り30年かそこらだと思う。
今の時点で終活を考え始めるのも、さすがにナンセンスでしょうけど。
「現代に死ぬと言うこと」のややこしさを、少し、垣間見た気がしました。
とにかく、叔母には、合掌。
んじゃまた。
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