施設を辞めた今、使っていたThinkPadをヤフオクへ流すべきか、ちょっと迷っています(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
人が東京まで行こうというときに限って、天気予報が雨なのは、日頃の行いのせいですか? とか思う木曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日のエントリは、「ジャーナリング!」とかいった話です。
続きを読む最初にお知らせ(定期)
まず、お知らせから。
拙作、『キチンと! 木戸さん! ~私は穏便に世界征服がしたかっただけなのに』。
次話を公開しました。
オナシャース
そして昨日の
そんなわけで、昨日は、
「察した!」などと書かせて頂きました。
もうね、スパッと気持ちが切り替わりましたね。
つうか、変にモヤッとした気分にならない分、得をした気分にさえなります。
まあ、その事実と、今日の充実度合いとは、残念ながら関係がないのですが。
瞑想しろって? 無理だよ!
さすがに、視聴した正確な時間までは覚えていないのですが。
どこだったかのタロット占いチャンネルで、なんか、5月の牡牛座は、瞑想をするといいらしいとのこと。
ただ、座禅を組んで集中しようにも、頭の中がとっ散らかって、あまり効果はないようにも思える。
そこで、代替案として提示されたのが、「書く瞑想」こと、ジャーナリング。
これ、まさに今日、知った手法です。
何をどうする?
方法は、至って単純。
「ノートに、鉛筆を使って、手書きで、とにかく頭の中の思考を書き出す」
この辺、「ジャーナリング」で検索すれば、嫌ってほどヒットします。
発信している人によって、方法はまちまちです。
ただ、共通していることは、「洗いざらい、紙の上にぶちまける」こと。
これ、スマホのメモではダメだそう。
手の動きのパターン数が、スマホと手書きでは、雲泥の差があるそうな。
この辺の理屈は、まあ、軽く頭でシミュレートしてみたら、分かりますよね。、
加えて、スマホのメモの場合、考えてからアウトプットするまでの、タイムラグが発生する。
なので、ノートの上に、鉛筆、ないしはシャーペン、ボールペンなどがいいそうです。
考えるな!
自室の机の上を見ると、以前買った、新品のノートがうっちゃってありました。
ちょうど、何に使うべきか、迷っていたものでもある。
ペンの類は、悩むまでもなく、鉛筆がある。
「今思っていること」を、書いていけばいいのか。
時間やタイミングも、人によって、定義は見事にバラバラです。
「5分でいい」という人もいれば、「15~30分」という意見もある。
根拠はないのですが、頭の中を、一度スッカラカンにしたかったため、20分前後を目標にすることに。
じゃあやろう……と、スマートバンドで「だいたい」20分を測り、いざ書き始めました。
現在感じている心境、悩み、願望、課題、エトセトラ。
思いついた端から、書いていきました。
なお、僕はとんでもない悪筆のため、もはや判別が難しいレベルの字ではある。
ただ、誰に見せるものでもない。ある意味、「真のチラシの裏」です。
ほほう?
昼間と夜の、トータル2回、とりあえず、20分ずつやってみました。
いや、かなりすっきりしましたね。
なぜか? 言葉を選ばなくていいからです。
このブログであれ、noteであれ、あるいは、ボイスブログであれ。
不特定多数の人々に向けている以上、言葉は選ぶ必要があります。
いかにこのブログのタイトルが、「チラシの裏」であっても、パブリックな場です。
確かに、割と開けっぴろげには書いていますが、それでも、言葉を選んでいます。
しかし、ジャーナリングの場合、それは無用。
そもそも、誰にも見せる必要のないものですから、「心底からの本音」を書ける。
書き殴ったことについて、なぜ? さらになぜ? もひとつなぜ? を重ねつつ。
いつしか、「ああ、俺って、こんなことを考えていたのか!」と、自分で驚いたりね。
思考の可視化
これは、ジャーナリングを推奨している人に共通している意見なのですが。
感情をストレートに書く、ということは、「思考の可視化」作業です。
そうすると、必然的に、頭の中が整理される。
つまりは、「ワンパターンな思考のループ」から、あっさり抜け出せる。
もちろん、明日も同じ事を考えている可能性はあります。
しかし、少なくとも、「課題の解決に向けた指針」は、見えてくるような気がします。
理想、野望、願望。及び、それに近づくための具体案。
浮かばなかったら、素直に「分からない」と書けばいい。
「分からない、という現状を知る」ことは出来ます。
特段に僕も、いわゆる「引き寄せの法則」がどうの、とか。
あるいは、アファメーションがこうの、とは言いませんけども。
未来のビジョンを明確にできるという点においても、有効だと思いました。
「Aと思った」「では、それはなぜ?」
「なぜなら、Bという価値観があるから」「それはなぜ?」
その繰り返しであり、言わば、「自分の根っこ」を掘り下げて、見る作業です。
「今は」(世間的に)間違っている動機、価値観かもしれない。
でも、「可視化」することで、軌道修正もできるはず。
同時に、ぼんやりしていた「今後」についても、指針が見えてくる気がしました。
結局、昼間も夜も、20分はあっという間に過ぎ。
さすがに、1日3回はやりすぎだろうって事で、手は止めました。
クセになる?
……いや、正確には、「クセ(習慣)にするべき」なのですが。
言わば、「リミッターを外して、思ったままをバカ正直に書く」ってのも。
予想外に気持ちがいいことが分かりました。
もちろん、いかに指針が見えたとは言え、最終的に行動するのは、自分です。
なんぼなんでも、「書くだけ」で、周りからお膳立てをしてくれるはずがない。
しかし、繰り返しになりますが、「モヤモヤを可視化させて、頭の中を整理する」。
この手段としては、かなりいいですね。
魂が闇属性なので
その辺の不安とか、心の風邪から来る、特有の、ものの見え方とか。
全てを、びっらーっと書けるのが、やはりよい。
元々、書くことは大好きですし。
今後も、隙間を見つけて、やっていこうと思いました。
都合のいいことを考えていないか? と問われたなら、あることはある。
ではあっても、しばらく続けてみても、損はないと思いました。
僕自身、まさか、始めた初日に「皆さんも、ぜひ!」とは言えませんけども。
個人的には、ニート生活で怠惰になっている脳を刺激するという意味で。
やることに、意義はあると思います。
自分自身の「黒さ」も、アウトプットできるのは、なかなかに貴重かと。
んじゃまた。
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