気に入ったシチュエーションならば、似たような絵が何枚(SeaArtAIで)生成されようが、一向に構わない派です(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
キーをタイプするときに、意識的に脇を締めると、指の動きがなめらかになることに気付いた火曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日のエントリは、「大神神社へ行かねば!?」とかいった話です。
続きを読む昨日の引用はしない
昨日は失礼致しました。なんしか疲れていた上に、普通の日記を書くネタすらもなかったもので。
しかし、この親への付き添いは、まだしばらく続く模様。
そりゃあ確かに、糖尿病黄斑症をかいくぐって、ギリギリの状態で、白内障の手術をしたわけですから。
継続的なアフターケアが必要でしょうし、認知症の気配があるので、僕がつきそわなければいけないのも分かる。
……理解はできるが納得できねえ(ワガママ)。
本日の僕氏
ってことで、今日は、午後から、定例の精神科通院日でした。
診察は、まあいつも通りであり、薬にも変更はなし。
ただ、2週間後が祝日であり、3週間後も祝日。
次回はどうするのか? と思ったのですが、30日の水曜日になりました。
後は、時系列は前後しますが、医者へ行く前に、散髪も。
今月から200円値上がりして、2,200円に。まだ安い方だとは言え、地味に痛いです。
明日の問題
明日は、これまた恒例の、内科の検診日です。
ただ、予約が16時30分なので、それまでの時間をどうするか? が、地味な問題。
なるほど、原稿を書いていれば、時間はマッハで溶けますけれども、なんとなくそういう気分でもない。
考えてみれば、今月は、まだ聖天(大聖歓喜天)様へ、ご挨拶に行っていない。
朝に家を出れば、医者へ行く時間までには、十分帰ってこれる距離ではある。
ちょうど明日は、聖天様の御縁日でもあり、参拝するにはうってつけかもしれない。
帰りに、サムハラ神社へ寄ったとしても、それは同じ事です。
しかし、なーーーーんか、「そういう気」になれない。
義務感はよくない
なるほど、神仏に対して、礼節を欠かさないのは、いいことでしょう。
でも、妙な義務感のみで参拝するのも、よろしくないとは思う。
別の言い方をすれば、「行ったという事実を作るためだけの参拝」になってしまいかねない。つうか、なる。
これを書きながら決めたのですが、明日の寶山寺行きは、やめることにしました。
出来るだけマメに参拝に上がった方がいいのは確かでしょうが、気乗りしないのに無理矢理行っても、ね?
もっと気になることが
それは、大神神社の件。
過去ログを漁ると、1月中旬に、こんなことを書きました。
はい。亡父とセットで、大神神社の夢を見たのです。
ただの夢、で、片付けるには、あまりに鮮烈でした。
あと、たぶんこれは、当ブログに書かなかったことなのですが、しばらく後のことです。
どこにいたのか? という、状況は不明ながら、「手ぶらの状態で、大神神社へ行かねば」と思ったんですよ。夢の中で。
占い師の先生曰く
しかし、大国主命系統の神社と、僕は、相性が悪いのでは?
この間、いつもの占いの店に行った折に、そのことを、先生に軽く話したのですが……
「それ、めちゃくちゃ呼ばれてますよ!」
とのこと。しかし、初めての大神神社や、出雲大社に行った折、メタクソ腹が痛くなったことを話すと、
「覚悟が決まってなかったんでしょうね。あるいは、パワーが強すぎて、当てられたんだと思います」
変に、「なるほど!」と思いました。
確かに、あの時は、御朱印目当てで参拝してました。
要は、「浮かれた、あるまじき姿勢」だったわけで。
もしかすると、大物主神が、「今度は手ぶらで来い」と言ったのかも? と思うと、奇妙に夢との整合性がとれます。
大神神社の「力の強さ」は、スピ系界隈では、つとに有名ですしね。
出雲大社も、八百万の神が集う、神在月の時期に行ったんですから、やはり、力が強くて当たり前。
半端な気持ちで行けば、当てられてもおかしくはないでしょう。
タイムリミット?
そんな物があるはずもないのですが、さらに占い師の先生が、
「誕生日の前に行った方がいいですよ」
と言う。
来月の8日が、誕生日です。猶予は、あまりない。
非常ぉーに、気になる!
それこそ、明日にでも、行かねばならぬような。
しかし、寶山寺と違い、大神神社までは、結構な距離があります。
時間を気にして、焦って参拝するのは、やはり失礼に当たるでしょう。
なので、最短で、明後日かな? とか思います。
忙しいな!?
今週の土曜日から、広島へ行くのですが。
直感的に、その前に、参拝せねばならない気が。
宿泊を伴うわけでもないので、まだ気楽な方だとも言えますが。
これを書きながら、変な焦りを感じるあたり、いよいよもって、呼ばれているのだと思います。
そんな、春の夜。
んじゃまた。
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