やっぱり僕は、テレビが嫌いだ。

日記
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どうも。フジカワです。朝からの頭痛が、まだ地味に残っていて、ローテンションに拍車を掛けてくれてますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今回の台風19号、関東地方では、シャレにならない被害が出ているようで、避難を余儀なくされてる方々には、謹んでお見舞い申し上げます。我が家は、食事時に、国営放送のニュースを流すのが常なのですが、たとえチャンネルがどこであれ、ひとたび『デレビカメラというフィルター』を通せば、全ては他人事になります。いたずらに不安を煽るだけの民放より、いかに『大本営発表』であろうとも、国営放送の方が『多少』マシだとは思いますが。

やはり、『テレビという装置そのもの』は、エンターテインメントの為にあるんだなあ、と、思いを新たにしました。そうです。いかな大災害も、酸鼻を突くこと極まりない事件でも、卑劣なテロも、戦争でさえも、『テレビ』を通せば、例外なく『娯楽』と化します。『自分が巻き込まれない限り』。

これは、大人げない思い出し怒りの一環ですが、24年前の、阪神淡路大震災の時も、全く関係なかった関東の人が、『名称に“阪神”と付くだけで、お笑いっぽく聞こえる』と言うようなことをのたまわって、当の被災者であった僕は、怒りも悲しみも通り越して、ただ、あきれかえりました。よそからすればそんなモンなんだという現実を、その一言で思い知りました。

今回の台風も、各地の被害の状況が、絶え間なく流されてますが、食事が終わって、後片付けも済ませたら、僕は、早々にテレビのない自室に戻りました。僕自身、心のどこかで、現在進行形で被害に遭っている方々、あるいは、各地のライブ映像を見て、それらを『娯楽として消費』していることは、否定できないからです。

それもこれも、少なくとも我が家の近辺では、確かにかなり強い風雨はあったものの、去年の西日本豪雨の時の方が、よっぽどひどかった、と言えるほど、被害らしき物は皆無だったからです。いかに被災地へ、同情の念を寄せようと、可哀想だと哀しんでみせても、当事者が欲しいのは、そんな『役に立たない物』よりも、現実の支援の手です。何ら行動を起こさずに、単純に『高みの見物』を決め込んで、テレビから垂れ流される、『災害というショウ』を愉しむだけ、なんてのは、僕は、荒っぽい言い方をすれば、もはや『卑怯』だと思います。

またぞろ荒っぽい言い方になりますが、みんな、『刺激』、あるいは『悲劇』に飢えてるんだと思います。『自分の関係しない』それらに。だから僕は、どこまで行っても、そんな『悪趣味な一般人』と、『テレビそのもの』が、好きになれないのだと思います。

全ては夢、全てはショウ。そんな僕は、今日も、『現実』というものが、よく分かりません。

んじゃまた。

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