n回目の、あの名曲に対する、大人げないツッコミ。

ネタ
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「いえもん」と聞いて、お茶を思い出す人は一般人。『THE YELLOW MONKEY』を思い出す人は、僕と同類(挨拶)。

どうも。フジカワです。キーボードとマウス以外は、ほぼ環境が整ったので、システムパーティションのバックアップを取っています。外付けHDDを、うっかり売ってしまったので、クラウドドライブにバックアップしているのですが、非常に時間がかかるのが難点です。皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて。冒頭で述べた『THE YELLOW MONKEY』といえば、『JAM』が、日本ロック史に残る、超名曲であることには、誰も異論はないと思います。あの曲がリリースされた頃は、僕はちょうど大学生で、友人宅で、そのミュージックビデオを、文字通り夜通し、エンドレスで観ていたものです。

ただ、あれから四半世紀が経ち、今になって冷静になってみると、いかに僕自身が大好きな曲であろうと、ちょっと引っかかるところに気付いたので、それについて書いてみます。

『JAM』のサビの部分は、『あの偉い発明家も、凶悪な犯罪者も、みんな昔子どもだってね』とあります。つまりは、『誰もが皆、純粋だった』ということを表しているのだと思いますが、ちょっと待った。本当にそうか? 世の中全ての子どもが、一人の例外もなく、みんながみんな、純真無垢でしょうか?

世の中、『悪ガキ』というのは、必ずいるものです。これまた僕の大好きな曲として、80~90年代に活躍したロックバンドである、『アンジー』の楽曲に、『掃き溜めの街で歌い始めたチンピラ達の新しいメルヘン』というのがあります。長い曲名ですが、これが正式名称です。その冒頭で、『掃き溜めの街に生まれて、屈辱を舐めて育った。誰もが誰かを妬んだ』とあります。

つまりは、子どもというのは、いえ、人間そのものというのは、『環境と教育』で、人格が形成されるのです。まあ、当たり前の話ではありますが。

確かに、子どもは、『教育される前』なら、真っ白なカンバスのように、純真無垢です。ただし、『どんな環境で』、『どんな教育を受けるか』で、『いい子』になるか、『悪い子』になるかが決まります。まあ、『JAM』の中で歌われている、『子ども』の定義が、赤ん坊のことを指すなら、別に間違ってはいません。

ただし、これは僕の勝手な解釈ですが、どうも、あの歌の中で歌われている『子ども』というのは、ある程度育って、『いい子』ならば、無邪気かつ、元気に遊び回ってる頃合い、まあ、5歳児前後のことを指しているように思えます。それぐらいの歳なら、貧しい国に山ほどいる、ストリートチルドレンを例に挙げるまでもなく、『悪い子』というのは、一定数います。

事ほど左様に、『教育』というのは、大切です。ゆえに僕は、例えば、モンゴル出身の力士が、稼いだ金で、故郷に学校を建てるといった、『錦を飾る』行為に、惜しみない称賛を送ります。もっとも、ひとたび『学校』という『コミュニティ』に属すれば、否応なしに、『序列』及び『役割、あるいは立ち位置』というものが発生しますけれども。

世の中、嫌味のカタマリのような人種というのも、掃いて捨てるほどいます。アレは要するに、その親の教育が悪くて、さらにその、『親の親』も悪くて、もう、『そういう血筋』なんだと思います。僕の持論は、『子孫を遺す=己のクローンを創る』ことですので。この持論がまた、僕から結婚願望を奪っている一因でもあるのですが。

『悪ガキ』の存在そのものを、まさか否定はしませんが、きっちり『しつけ』ておかないと、後で困るのは、育った子ども本人だと思うのですが、いかがでしょうか。

まあ結局は、僕が、今どきの、こまっしゃくれたというか、無駄にませた子どもが苦手だ、というだけの話なんですけどね。

んじゃまた。

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