人はなぜ、災害時に、ギリギリまで避難しないのか? についての一見解。

日記
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どうも。フジカワです。甚大な被害を出した、あの、西日本豪雨から、早くも1年が過ぎました。被害に遭われた方、また、今なお避難生活を強いられている方には、謹んでお見舞い申し上げます。

少し前も、九州の方で、相当な豪雨災害がありました。気象庁が、異例のきつい言葉で、住民に避難を呼びかけましたが、それでも、素直に従った人は、ごく少数だと聞きます。これ、なぜでしょうか? 前提条件として、これは、僕個人の意見です。偏見に近いことも承知しております。それをよくお含み置きください。

『芸術家は、命よりも、名を惜しむ』とは言われますが、僕は、『現代人というのは、命よりも、プライバシーを惜しむ』んだと思います。避難所というのは、基本的に、共同生活の場ですから、『個々人のプライバシー』というのは、皆無です。そりゃまあ、それを確保すべく、様々な試みが成されていることも、知ってはいますが、やっぱりプライバシーのない場所であることには変わりありません。

それが、現代人には、耐えられないのだと思います。もちろん、みんながみんな、後ろ暗いところがあるから、というわけではないでしょうが、『軽々に、他人に踏み込まれたくない領域』というのも、各々にあるものです。つまりは、いかに身の危険が迫っていようとも、その『己の不可侵領域』のことを考えた時、人はためらうのだと思います。

僕は、幸か不幸か、今まで『避難所暮らし』をした事はありませんが、別のケースで、15年前、精神病院に入院していた頃、大部屋での、他の患者さんとの共同生活は、正直、かなりのストレスでしたからね。

あと、話は逸れますが、どこかでこんな話を聞いたことがあります。台風や豪雨の際、田んぼや用水路の様子を見に行って、命を落とす方も、結構な数いらっしゃいます。なんで、危険を冒してまで、田んぼの様子を見に行くのか? よくよく考えてみれば、農家の方々にとって、『農作地=収入源』なわけです。それで稼いで生活してるんですから、収入源が気になるのは、しごく当たり前のことだと思います。文字通り、今後の生活がかかってるわけですから。

もう一つ。去年の西日本豪雨で、犠牲になられた方々を、侮辱するつもりは毛頭無いのですが、最も被害が甚大だった地域には、山のふもとに、江戸の昔頃に建てられたらしい、『これより上に、家を建てるな』という、警告の石碑があったとか。それをガン無視して、昔の人が『やめろ』と言ったところに、家を建てたわけですから、ある意味では、人災とも言えると思いませんか?

僕は、いわゆる、日本の高度経済成長期を、リアルタイムでは知りません。が、『発展するためには、いかなる先人の警告も無視してよし!』とは思えません。『発展という熱狂』は、人の目を曇らせるのだなあ、と、つくづく思いました。

特にオチはありませんが、んじゃまた。

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