『辛い』が何周かして、今はただひたすらに『困った』という現状。

日記
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どうも。フジカワです。これをご覧の方々の中にも、種々様々な事情で、現在が『つらい』方も、いらっしゃるかと思います。これは、自慢にも何にもなりませんが、今現在の僕も、すごく辛いです。ただ、あまりにも『辛さ』の『メビウスの輪』の中をぐるぐる回っていると、『辛い自分に嫌気が差し始めて、むしろ困る』ことに、最近気付きました。皆様いかがお過ごしでしょうか。

で、その困り具合たるや、『名状しがたい』のが現実です。とにかく、普通の人には『息抜きやリフレッシュ』になること全てが、今の僕には、ストレスに感じます。一日中、今こうやって、PCの前に座っていようが、寝室へ避難して横たわっていようが、常に緊張の糸は張り詰めっぱなし。眠れば多少はマシになりますが、所詮一瞬。次の日に目覚めたところで、やっぱり幾分マシなのは、起きてからせいぜい、1~2時間です。そして、振り出しに戻る、ですよ。どうしろと?

まあ、多分前も書いた通り、幸か不幸か、死にたいとか、消え入りたい、とかは思ってないですし、自傷願望もありません。単純に、『シンプルな解決策が全くないので、ただただ困る』という。

ふと頭をよぎるのが、少年期に読んだ、藤子・F・不二雄先生作の、『21エモン』の1コマ。どういう前後かは忘れましたが、たくさんの老人が、ベルトコンベアのような椅子に座って、『どこか』へ向かっている。行き先を聞くと、「0次元だよ」と言う。

老人達がなぜ、『0次元=無の世界』へ自ら赴くのかというと、「死にたくても死ねないから」という理由だったと思います。その当時はまだ、『人生百歳時代』なんて言葉が生まれる前でしたが、それを読んだ僕は、「いつかはこうなるのかな」と、ほんのり恐ろしく思いながら、少し、『遠い未来』を考えたものです。

しかし、これは単に、僕の勝手な思い込みですが、この『人生百歳時代』という言葉、なんだか、『全員揃って、100歳まで生きろ』と言われてるような気がします。そりゃまあ、『ずーっと元気で』100歳を迎えられるなら、まだマシですが、そんな人間は、まず皆無でしょう。ただでさえ、少子高齢化が叫ばれて久しいのに、ちょっと残酷な言い方ですが、『国の新陳代謝』を妨げてませんか? 誤解のないように釘を刺しておきますが、別に僕は、「いい歳になったら、さっさと老人は死ね」なんて暴言をぶってるわけじゃないですよ? いつまでも元気なことは、いいことです。ただ、それ以上に、「他人の手を煩わせる存在に『ならざるを得ない』」のが、多分現実だと思います。

老人をバカにした若者の末路は、中坊時代に読んだ、かの『アウターゾーン』の中にもありました。占い師の老婆を見下して暴力を振るった、17歳の青年が、呪いを掛けられ、翌朝目覚めると、ヨボヨボの老人になっていて、家を追い出されたあげく、行く先々で、『若さ』とのギャップに、ひたすら戸惑って、最終的には施設に入るという。3年後の風景がラストにあったのですが、施設内のベッドで、「信じてくれ……俺はまだ、二十歳なんだよ……」という主人公の言葉を、介護士の女性が、「はいはい」と、軽く聞き流すだけ。そういう『現実』で締めくくられていて、やっぱり僕はゾッとしました。

ご老人というのは、基本的に、『尊敬の対象』です。まあ、中には、超ワガママな老け方をして、思春期のガキみたいに、周囲に迷惑をかけまくって、全然尊敬に値しない、『面倒くさい老人達』も、かなりの数いますが。

『安楽死』で、忘れてはならないのが、手塚治虫先生の『ブラック・ジャック』に登場する、『ドクター・キリコ』でしょう。たぶんあれは、最終回での1コマだったと思うのですが、同じ列車の中に居合わせた、ブラック・ジャックとキリコ。キリコは、身体中にあらゆる機材を付けて『延命させられている』老人の車椅子を押し、『安楽死の必然性』を、ライバルに説いてました。あれもまた、強く印象に残っています。

僕の場合ですが、自分の一族の、男の平均寿命を考えた時、亡父然り、墓碑を見ても然りで、だいたいが、75歳前後。と言うことは、僕は今、45歳ですから、あと30年かそこら。さて、天寿が来るのが先か、肺ガンになるのが先か? 「早死にしたいとは思ってないけど、無駄に長生きもしたくない」というのが、多分一番適切かと。

なんでこんな話になったのか、我ながら謎ですが、疲れすぎていると、思考が思うようにまとまらないという一例かなーと。あんまり深く考えすぎる、と言うか、『深く考える』ことができないので、特にオチはありませんが、この辺で。

んじゃまた。

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