空気清浄機について、しつこいぐらいに追加で調べまくった結果、やはり、今度買おうとしている、ツインバード工業製の物が、コスパと機能的に、一番いい選択という結論に至りました(挨拶)。2.5倍ほどの値段で、シャープのプラズマクラスター機能付きの物もあったんですが、『使い始めてすぐに、フィルターから異臭がする』というレビューが多数あり、地雷臭がプンプンしたので。
と、いうわけで、フジカワです。先日新調した、ユニクロのフリースですが、大変暖かいのはいいとして、部屋の中で着ていると、熱源(メインPC)があるせいで、かえって暑いので、ボロい方のフリースに着替え直したりする、師走の夜。皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて。タイトルの話を。つい2時間ほど前、ものっそい(個人的)荒行から帰ってきました。何かと言うと、『一人でファミレスまで食事に行く』ことです。僕の現状をおさらいしておきましょう。
- 外出困難。
- 対人恐怖。
- 群集恐怖。
しかしながら、今晩は、家に親が不在で、備蓄の食料も一切なく、親から経費を貰って、(たまたまクーポン券のあった)徒歩5分のガストまで行か『ざるを得ず』。
いや、辛かったです。日曜日の夜と言えば、ファミレスも、一番混む頃です。『知らない人間だらけのところに出る』のが、今の僕に、どれだけ辛いか? 言葉では言いにくいです。バッキバキに神経が緊張し、無駄に周囲のざわめきが大ボリュームで聞こえ、その見えない圧迫感の強さたるや、もうね。
当然、そんな状態で、運ばれてきたステーキ(+カキフライ)の味なんぞ、分かろうはずもなく。まして、食後にドリンクバーでも頼んで、ゆったりしよう、なんて、微塵も思えるはずがなく、胃に詰める物を詰めたら、コップのお冷やだけ飲み干して、とっとと会計を済ませ、脱兎のごとく退散。
で。帰ってきてから、抗うつ剤を飲めて、やっと多少はマシになったという有様です。この薬にしても、即効性があるわけはないのですが、『飲んだという事実』だけでも、安心材料になります。精神病患者なんて、そんなもんです。
不可避の外出と言えば、明日は、定例の、内科での糖尿病検査の日なんですが、内科の先生とか、受付や検査担当者さん等、病院内の人々は、もうかなりの顔なじみになったので、『まだ』マシです。待合室が混んでたら、やっぱり辛いですけどね。明日も、修行と思うしかありません。
で(2回目)。次なんですが、僕自身、今日の夕方近くまで、コロッと忘れてました。今やもう、どうでもいいと言えば、ものすごくどうでもいいのですが、今日、12月1日は、僕にとっての記念日です。何のか? というと、『僕が、シナリオ屋としての、第一歩を踏み出した日』です。
今から21年前の、1998年12月1日。大阪のハローワークで見つけた、一番最初の、尼崎にあったエロゲメーカーへ出社しました。当時24歳。「好きな物が書けて、金がもらえるなんて、なんて素晴らしいんだ!」と、目をキラキラさせておりました。
その会社では、いいことも、悪いことも、語り尽くせないほど色々あって、あえて一言で言えば、『大変勉強させて頂きました』と。
それから、事実上、僕が現役だったのは、40歳の頃まででしたから、40-24=16年。『物を書く』以外のスキルなんぞ、まるで身につかず、今は、望んでなったわけでは決してないとは言え、障害者手帳を交付されて、年金生活で、どうにかやって行けてますが、もし僕がまともだったら、どうやって生活して行けたでしょう?
『四十の手習い』とは申しまして、伊能忠敬ばりに、何を学ぶにも、遅くはなかったのですが、あの業界に骨を埋める気満々でしたから、『干されて、もはや居場所がない』という事実を知るまで、大変未練がましかったです。もっと言えば、無様でした。
今はもう、あの頃の才能は、ほぼ完璧に失われました。僕の、ストーリーテリング能力の、根本的欠如について見抜いたのは、先述の、一番最初の会社で、机を並べて仕事をさせて頂いていた、超敏腕営業担当の方でした。あれを『慧眼』と言わずして、何をそう言うかって話ですよ。
僕のデビュー作である、『姉妹いじり』が、2万本のヒットを飛ばせたのも、ひとえに、その営業担当者さんの手腕あってこそだった、と、その恩義は、いまだに忘れておりません。Mさん、ありがとうございました。お元気ですか?
さあ。荒行の疲れが、時間差で押し寄せてきました。何もかもが嫌になってきたので、もう今日は、おとなしく、寝るまであと1時間ほどありますけど、できるだけ静かに過ごします。
んじゃまた。
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