【すごい、暴論】『さほど本を読まずに、物書きになるには?』(雑記)

日記
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もう何度となく書いてる気がするんですが、『医者』という場所にひとたび行くと、いかに所要時間が短かろうがドカッと疲れるのは、見えない場所にエナジードレイン装置が仕掛けられてるに違いないと思うんですよ(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。だらーっとTwitterのタイムラインを眺めていたら、大御所ラノベ作家でいらっしゃる、榊一郎せンせいが、ラノベ作家志望の若い子について、『これだけ読めばOKという本を教えてくれ』とよく問われる、と仰ってました。要は、『これ“さえ”読めば、ノルマ達成』という思考なわけで、そんなもん、サッカリン1トン一気飲みするより甘い考えなのは、さすがに僕でも分かります。

んが、僕も、曲がりなりにも15年以上ライターをやってたわけですが、こと、読書量に関しては、メタクソ少ないです。自慢にもなーんにもなりませんけどね。ここでタイトルの話なんですが、(続くかどうかはさておき)『あんまり本を読まなくても、物書きになるには?』を、夢見るヤングメンにちょっと伝えておきましょう。

一言で言えば、『読むのが嫌なら書け。技法なんざ二の次だ。四の五の言わずに、とにかく書け。ただし、完結していて、人に読ませられるものを書け。少なくとも、短編の積み重ねでもいいから、千枚以上は書け』ってことです。

数多の文学を読破し、何千本の映画を観て、『理屈』をこねられるよーになっても、現場が欲しいのは『結果』です。そりゃまあ、インプットをすればするだけ、後々有利なのは、誰も疑いようのない真実ではありますが。

要は、(あくまで、僕の場合ですが)『己でも御しがたいほどの、表現衝動があるか?』ってことです。お行儀よく、セオリー通り、理詰めで書くのも結構。それは否定しません。ただ、あまりに『理屈』に縛られすぎて、『表現』できなければ、本末転倒です。

面白いかどうかは、他人が決めることです。それは大前提としても、『なんでもいいから書きたい! 書かないと狂いかねん!』ぐらいまで思えれば、ぶっちゃけ、お勉強なんて後からしてもいいわけですよ。続けるうちに、『自分に足りない物とは?』というのも、自然と見えてきますし。

別の定型句としては、『習うより慣れろ』です。休まず続けていれば、技術も(ある程度は)自ずと付いてきます。後は、『レアな体験』をすると、結構有利です。僕の場合だと、『孫請けの立場でIT土方をやる』とか、『自己破産する』とか、『赤の他人から、全くの冤罪で、被告として、いきなり訴訟を起こされる』とか、『精神病院の閉鎖病棟に入る』とかですね。

あと、どーしても本が読みたくないなら、『歌を聴く』のもアリかと。ちゃらけたペラいラブソングなんかじゃなくて、『リリック(歌詞)にパワー、あるいはストーリー性がある物』を選びましょう。

んで、歌詞カードをよーく読みつつ、『理解しながら』聴けば、ショートショート1本、物によっちゃ、中編小説1つ読んだぐらいにはなります。多分。実際、僕もしばしば、感銘を受けた歌からヒントを得て創作する、ということがありますし。

僕みたいに度が過ぎると、また問題ですが、少しぐらいワガママでもいいんです。『表現したいから、やらずにいられないから、書く』。その気持ちが何より大事です。繰り返しますが、僕は、座学、作法の勉強そのものを否定してるわけじゃありません。でもそれは、『持ってりゃ多少有利』なもんです。

話は戻りますが、世の若きワナビの皆さん、『有名になりたい』とか、『一発当てたい』とか、諸々以前に、『書きたくてしょうがない!』と思ってますか? 思ってるならOK。その衝動よりも、まだ功名心等のスケベ心が勝るようなら、一歩立ち止まり、振り返ることをお勧めします。

『表現する』ことは、底のない『業』みたいなもんです。僕は11年間怠けていて、おまけに拗ねてましたが、リトライしてみりゃ、なんとかなったもんです。たかだか80枚ちょいの短編ですけどね。ただ、やっぱり楽しかったです。他の何にも代えがたいほど。

どうせなら、『表現』の底なし沼にはまってる自分を、笑ってみましょう。「しょうがねえなあ、コイツ」ぐらいに。

んじゃ、今日はこの辺で。

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