思わず「MF文庫J+新人賞+難易度」なんてキーワードでググってみたら、そびえ立つクソのようにつまらない(何らの参考にもならない)検索結果しか出てこなかった時はね(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。人というのは「誰かが憎い」と思ったときには、その「他人」の中に「自分」を見るからだ、という主張をしたい木曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて、タイトルの話なんですが、ちょっと皆様にクイズを。今や押しも押されぬ名演出家である、鴻上尚史氏。(割と最近お亡くなりになった)「サザエさん」におけるマスオさんや、「アンパンマン」のジャムおじさんなどで名を馳せた、声優の増岡弘氏。そして、近年では「ジョジョの奇妙な冒険」第1部のツェペリさんなどが有名な、同じくベテラン俳優の塩屋翼氏。このお三方に共通することは、なんでしょうか?
まあ、普通に考えれば(役者さんor芝居関係であるという以外)共通項なんてないですから、わからないとは思いますので、答えを。それは、「僕がかつて、ワークショップを受講したことがある方々」です。
ハタチ前後の頃ですから、今を去ること26年以上前です。当時の僕は大学でも演劇部に所属して、相当な芝居熱に浮かされており、かなり本気で「将来は芝居で飯を食うんだ!」と思ってました。まあ今からして思えば、サッカリン1トン一気飲みするより甘かったわけですが。
その中でもとりわけ印象深かったのは、増岡弘氏のワークショップ。実際にテレビで聞く氏の役柄、演技は、どれも優しいものがほとんどです。んが、ご本人はさにあらじ。こと「芝居」、「演じること」については、鬼神のような方でした。
ワークショップ会場は、緊迫に包まれていました。そりゃもう、ゲロを吐きそうなほど。ほんの1回のことでしたが、一切の妥協はなく、これを真剣と言わずして、何をそう言う? ってな程でした。
ただ、厳しいだけじゃなくて、例えばサンプルのセリフを読んで、感極まって泣き出した女の子を、優しく抱きしめてあげるような一幕もありましたが。
そんな中、増岡氏が言いました。
「この中で、本気で声優になりたいやつは手を挙げろ!」
一切の甘え、ナメた考え、その他のチャラけた心構えは許さない声でした。受講生のうち、数人は手を上げました。
でも僕は、手を挙げられませんでした。自分の中にあった「甘さ」を、粉微塵に砕かれたからです。その瞬間、僕の「声優になりたい」という夢は消えました。要は、「芝居の道」を思いっきり見くびっていたわけです。
でも、それでよかったと思っています。いかに「その道」が険しいか? 「覚悟」はあるか? 己の全てを捧げることができるか? 増岡氏は、それを問うたのだと思います。僕にはそれがなかった。単純な話でした。
あれからもう、随分経ちました。氏も鬼籍に入られ、もはやあの体験は、二度とできません。ただ、心底貴重な経験をさせてもらったなあ、と、いくら感謝しても足りない程です。
次に、塩屋翼氏なんですが、増岡氏ほど厳しくはなく、結構楽しかった記憶はあるんですが、インパクトは薄かったような。塩屋さん、ごめんなさい。
最後に、鴻上尚史氏。いや、アレは難しかった! 1つだけ、今でも鮮明に覚えている課題があります。鴻上氏が、飲んでいたポカリの缶を部屋の中央にトンとおいて、言いました。
「これが、とんでもないお宝だということを、マイム(仕草のみの演技)で表せ」
皆さん色々挑戦されてましたが、僕もすごくありきたりな芝居しかできず、ただ「難しいなあ!」と思いました。
なお、鴻上氏の僕に対する呼び方は、
「おい、そこのファットなお前!」
でした。
そりゃあ僕はその当時から太ってましたし「そこのデブ野郎!」よりは多少マイルドだったとはいえ、少なからず傷ついたのは確かです。あの時の屈辱、26年経っても忘れてませんよ? 鴻上殿?(にこっ)
少し話はそれるんですが、さらに時をさかのぼって、僕が13歳の頃です。将来の夢についてぼんやり考えていた時、ふと、某声優養成所のオーディションを受けたことがあるんですよ。
結果はなんと合格でした。ただ、いざ合格通知を手にすると、急に臆病風に吹かれ、入所はしませんでした。
もう30年以上前の話ですけど、もし13歳のあの時、思い切って「養成所に通う」という選択をしていたなら、その後の僕の人生は、多分まるっきり違ってたと思います。「もしかしたら」声優になっていた「かも」知れない。
時は経ち、40歳の頃、そろそろシナリオ屋として仕事を干され始めた頃です。ふと、「今からでも遅くないんじゃないか?」と思い、いくつかの声優養成所のサイトをチェックしたりしたこともあります。
ですが、その頃はもう、精神の病のせいで普通にしゃべることすらままならなかったので、こりゃ無理だ、とブラウザをそっ閉じしたんですけどね。
まあ色々とあったんですよ。更に余談ですが、声優の一条和矢さんと僕は、一条さんがアマチュア時代からの知り合いだったりします。その頃僕は、放送劇サークルに入ってた関係で。なので広義では、僕も一条さんの薫陶を受けたうちの1人になります。
シナリオ屋としての現役時代、たまたま一条さんに出演してもらう仕事があり、スタジオで「立場が逆になっちゃったよ!」と一条さんに驚かれたのは、今でもよく覚えています。
まあまあ、全部過去の話です。僕は僕で、とりあえず今日一日をどうにか過ごさにゃならんわけで。ちょっと思い出したことを、つらっと書いてみました。それだけです。
んじゃまた。
応援よろしくお願いします!
にほんブログ村
エッセイ・随筆ランキング
コメント