金銭的な余裕はないはずなのですが、部屋を片付けたい欲求が強すぎるので、読まなくなったマンガを自炊代行業者に送ることに決めました(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。
ハタと「部屋の棚の中の整理」をしたくなって、いざやってみたら、「なんでこんなものを、後生大事に!?」と思う物がわらわら出てきたので、ごっそり処分した月曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日のエントリは、「呼ばれたような?」とかいった話です。
続きを読むまずは昨日の
さて。昨日は、
「ロマン浴!」などと書かせて頂きました。
本日のnoteの方にも書いたのですが、やはり、いかに性格的にスケベェであれ。
絶え間なくエロウイものに触れつつづければ、色々とおかしくなるようで。
ってか、昨日の夜、バーニン☆ せずに寝たので、なおのことおかしかったです。
時に皆様、特に、ミドルからそろそろシニアの声が近しい方々へ。
佳きことをお教えいたしましょう。
毎日、エビオスを飲みましょう。
朝に、一気に30錠飲んでOKです。
1ヶ月半~2ヶ月飲み続けていたら、みなぎってきます。性的な意味で。
「エビオスでドバドバに!」というのは、古来からの言い伝えですが、アレは本当ですよ。
今日の本題
で、ですね。
昨日の夜、不思議な夢を見ました。
さすがに、詳細を明確に覚えているわけではないのですが。
なんか、亡父と一緒に、神社にいました。
どこだろう……と思ったのですが、風景があやふや。
ただ、不思議と、「大神神社だ」という意識が。
ハテ? 亡父と、奈良県の大神神社には、何の縁もないはずだが?
しかし、夢の中では、確かに、亡父と、大神神社の一の鳥居付近に立っていた、はず。
呼ばれた?
スピリチュアル界隈では、「神社に呼ばれる」という現象は、割とポピュラーです。
その一例が、「夢に見る」こと。
特定の(=自分が分かる)神社の風景を、夢に見ること自体、僕も初めてです。
しかもそれが、亡父と一緒だったなら、そこには、一定以上の意味があるはず。
生前の父は、地元伊丹の、中心の方にある神社に、寄付をした事があるそうです。
今でも、境内の玉垣に、父の名が刻まれていることを、母は誇らしげに言うのですが。
残念ながら、僕は、その神社に行ったことがないんですよ。
ええ、所詮夢というのは、過去の記憶が整理される過程で、「知っているイメージを元に」脳内に再生されるものかも知れません。
大神神社へは、以前行きましたから、風景も知っていて当たり前。
たまたま、亡父の記憶と混ざっただけかも知れない。
しかし、ではなぜ? それが分からない。
そりゃあ確かに、夢に整合性を求めること自体、間違ってますけどね。
相性は大丈夫か?
以前触れたかどうかは忘れたのですが。
どうも僕は、大国主神が祀られる神社へ行くと、体調が悪くなったり、都合で行けなかったりします。
直近では、先月、出雲大神宮へ行った折、腹が痛かった。
その前は、出雲大社の相模分祀へ行こうとしたら、微妙にスケジュールが厳しく、断念せざるを得なかった。
さらにその前、本家(?)の出雲大社へ行った際も、腹が痛くて大変でした。
大神神社の御祭神である、大物主神は、大国主神の奇魂、あるいは幸魂であり、つまりは、二柱は同一だ、という説があります。
その証拠にと言うべきか、前回、大神神社へ行った際も、やっぱり腹が痛かった。
あるいは、これは最近知ったのですが、時々行く、氏神様のお社以下、3つの神社巡りにおいて。
2ヶ所目の神社の御祭神は、須佐之男命と、大国主神なのですが。
大国主神の方は、昭和の時代に入ってから、他ならぬ大神神社からの勧請で、いらっしゃったとのこと。(御由緒書きに、そう書かれていたのです)
どうせ暇はあるんですから、再訪することぐらい、十分に可能です。
腹の具合は、最近は落ち着いてきていますが、現地を訪れるまで、油断は出来ない。
どっちでもいい?
繰り返しになりますが、「場所が特定できる神社の夢」を見たのは、初めてのことです。
ええ、神社巡りを初めてそれなりになりますが、マヂで初めてです。
意味がないならそれで、別にいいのですよ。
でも、「行かねば」と思う。
こういう直感には、従うべきでしょう。
繰り返しになりますが、亡父までセットになりゃあ、個人的には見過ごせねえ。
ただ、明日は、ハローワークへ行かねばならないので、最短で明後日。
……かと思ったら、明後日の天気予報は、雨。
じゃあ、木曜日かな?
生駒聖天にも行きたいのですが、夢のお告げは、早急になさねばならぬ。
などと供述しており。
んじゃまた。
コメント