最近、トイレのデジタル時計で、「55」(秒 or 分)という数字を、やたら目にするわけですが。
さすがに、今朝目が覚めて、「5時55分」(5のぞろ目)を示す時計を見たならば、そこには何らかの意味があると思わざるを得ないです(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。
メインPCでの動画変換作業ですが、あまりにもPCが落ちまくるため、もう諦めた月曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今日のエントリは、「神社で、寂しい気持ちになった!」とかいった話です。
続きを読むまずは昨日の
さて。昨日は、
「落ち着け!」などと書かせて頂きました。
既に、おニューのミニPCを買う気満々なわけですが。
ハタと、家族間融資を使って、無利子で金銭を都合すれば、より幸せになれるかも知れないと思いました。
リボ払いってのも、どれだけ前倒し返済して、期間を短縮しようとも。
手数料が、バカになりませんからね。
ああ、3月よ早く来い。
本日の僕氏
少し前から、親が、「猪名野神社へ行くぞ」と、しきりに言っていました。
地元伊丹に、(御由緒によれば)千年以上前からあるお社です。
なんなら、所在地名も、「宮ノ前」だったりします。
そんな歴史ある地元の神社に、なぜ、この僕は、今の今まで参拝に上がったことがないのか?
まして、この神社へは、亡父が、震災からの復興費用を寄付して、名前の刻まれた玉垣まであるというのに?
ただまあ、キッカケはどうあれ、ご縁ができたことには感謝をせねば、と思い、母と共に行ってきました。
参拝後ですが、社号標です。
歴史があることは分かるのですが、非常なわだかまりを感じる結果に。
……寂しい
鳥居をくぐって程ない所に、亡父の名前が彫られた玉垣がありました。
それを写真に収めるよりも先に、まずは参拝。
本殿は、まだいいんですよ。
それにしたって、他の神社ではまず見ない、
「外国のコインや、ゲームセンターのメダルを入れないでください」
という注意書きのある賽銭箱が、既にもの悲しい。
こう書かれているということは、「そういうことをする人間がいる」ということ。
万歩譲って外国のコインはよしとしても、ゲームセンターのメダルってなんだよ!
神様をおちょくっているってか、マイナス方向への称賛に値する、罰当たりな行為だぞ!?
しょっぱい
それよりも問題だったは、境内に数カ所ある、末社。
30年前の、震災の影響を受けたことは分かるのですが、どこもかしこも、修繕を含めた、手入れがまったくされていない様子。
神様のお住まい、聖域と言うには、あまりに寂れている。
ってか、どんな神様であれ、こんなボロけた所には、お立ち寄りにすらならないだろうという有様でした。
いやまあ、全部の末社で、ちゃんと手は合わせましたが。
それにしたって、御鈴(拝殿にある鈴)さえ整っていないというのは、ちょっとどうなんだろう? とは思いました。
現実山脈
切なさに拍車を掛けたのが、最後に立ち寄った、社務所でのこと。
書き置きタイプの御朱印を頂き、おみくじを引いたのですが。
その、おみくじの初穂料が、300円。
一般的な神社なら、100円なのに、その3倍。
なるほど、特別な趣向を凝らしたものなら、この値段の神社もある。
しかし、渡されたのは、いたってありふれた、言っちゃ悪いですが、量産型のものでした。
この時、やっと思い至りました。
ここは、お金に困っている神社なのだと。
そう、本殿は、崇敬者からの寄付で、まだ何とかなったにせよ、各末社の修繕まで、手が回らないほどに。
母の曰く
母がこの地にやってきた、50年以上前は、「もっとキレイだった」とのこと。
全ては、あの震災が悪かったのだとは思いますが。
それ以外にも、嫌な話ですが、人々の気持ちが離れていっているのか。
「大切に守り継がれている」感じがしなかったんですよね。
追い討ちを掛けたのが、社務所で頂いた、書き置きタイプの御朱印。
一般的な御朱印帳のサイズより、かなり大きく、貼り付けることさえ出来ない。
参拝者のことを微妙に考えていない、カネに汚い感じの神社。
一応、おみくじは大吉だったのですが、「値段が高い見返り」としての、作為があるのでは? と、勘ぐりたくなります。
決定打
そりゃあ確かに、親といたみホールで別れた後。
阪急伊丹駅ビル内のサイゼリヤで、デカンタワインを一杯引っかけたのもあるかも知れないのですが。
帰宅後、非常に嫌な胸の澱み、重苦しさを感じたんですよね。
間違っても、神社を参拝した後の気分ではない。
僕は、「視える」わけではないです。霊感の類も、ないと思っています。
ただ、地元の氏神様のお社へ行った時の方が、気分ははるかにマシです。
もしかしたら、ですが、あの地に、神様はもはやいらっしゃらないのかも? とさえ。
とにかく、「行くべき所ではなかった」という思いが、とても強く残りました。
別の言い方をすれば、「行く必要がなかった」場所だったの「かも」知れません。
「呼ばれていない」感覚
神社巡りを趣味にしてから、2年経ちます。
方々のお社へ足を運んだわけですが、地元と言うことで、存在を知っており、かつ、親から散々「行け」と言われていたにも関わらず。
なぜか、単独で行く気になれなかった、猪名野神社。
その理由が、なんとなく分かった気がします。
今日はたまたま、親のほぼ強制でご縁ができたものの。
神社の方から、僕を「呼んでいない」のでしょう。
申し訳ないのですが、いかに近かろうが、再訪はしないだろうと思われます。
それなりの規模の神社ではあっても、最寄りの氏神様よりも寂れてるんです。
オーラがどうこう、とは言えたものでもないのですが。
「澱んだ気」を、わざわざ浴びに行ったようなものでした。
いやあ……
静かな祈りを捧げる場所であるはずの、神社。
そこにおいて、こうも強いわだかまりを覚えたのは、初めてのことでした。
神様どころか、悪い穢れの類が棲んでいるような気がする、という、個人の感覚。
口直しという表現は、まったく適切ではないのですが。
近いうちに、氏神様のお社へ行って、気分をリセットしたいと思いました。
んじゃまた。
コメント
[…] 非常なわだかまりを覚えた神社参拝。(日記)最近、トイレのデジタル時計で、「55」(秒 or 分)という数字を、やたら目にするわけですが。さすがに、今朝目が覚めて、「5時55分」(5 […]