疲れ切った自分を高みから俯瞰しているような気分で、カジノについて考えてみた。

日記
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昨日の話ですが、我が家の墓まで車で行く道中、極左の一派の活動拠点を見かけ、ものすごく嫌な気分になりました。後、某SNSで、明らかに政治信条的に相容れない人と、繋がりを持っているのですが、まさかそんな理由で、その人を切るのもどうかと思うので、ぐっと我慢してます(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。現在の疲労感を表現するには、いかなる言葉も無意味と思われるほどなのですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。相変わらず、意識は混濁してますし、外に出るのも怖いため、毎朝顔を拭く、フェイシャルペーパーが切れたので、買いに行きたいんですけど、それも無理という有様です。木偶人形のような、連休最終日。

さて。疲れ果てている自分自身が、逆に他人事のように思える中、国営放送で、たまたま耳にした、カジノ関連のニュースについて、ちょっとだけ、思うところを書いてみます。

いわゆる『カジノ法案』が成立して、しばらく経ちます。成立に至るまで、紆余曲折と言うか、結構な反対意見が噴出したわけですが、僕自身は、もうギャンブルは凝りましたが、この法案自体には賛成です。

んで、しつこく反対していた人々に、言いたいことがあります。もし、『ギャンブルそのもの』に反対するのならば、一つ聞きたい。「日本中の、駅前一等地に溢れている、パチンコ屋の存在、あるいは、競馬や競輪といった、『国が胴元』のギャンブルが、すっかり定着している現状を、どう説明しますか?」と。

パチンコなんかは、収益が、あの半島に流れているのは恐らく本当でしょうし、『雑居ビルの一階がパチンコ屋で、上の階が全部、消費者金融会社』なんて光景も、全然珍しくないわけです。つまり、既に日本中には、あらゆるギャンブルが根付いており、『ギャンブル依存症』の人間も、山ほどいるのが現実です。確かに、さらなる依存症者対策も必須でしょうし、他にも問題はあるでしょう。でも、今さら一つ増えたところで、どうって事無いでしょう。好きな人だけが行けばいいんです。僕のように嫌いなら、近寄らなければいいだけの話。

それでもなお、ギャンブルそのものに反対したいなら、先に挙げた、パチンコを始めとした、これら日本中の、一切合切のギャンブルを駆逐してから、初めて『反対』と言えるのではないでしょうか? 加えて、あの法案は、『カジノを含む、統合型リゾート施設』についてです。できるのは、カジノだけではないのです。さらに言うなら、カジノは、中で働く、ディーラーがいてこそです。小耳に挟んだところによると、今、日本でも、『ディーラーの育成学校』が、活況を呈しているとか。

ディーラーだって、立派な『働き口』なわけで、併せて作られる、ホテルやリゾート施設も含めると、結構な数の『雇用の創出』に繋がるのです。治安面を不安視する声もあるようですが、じゃあ、例えば、カジノの街として知らぬ者はいない、アメリカのラスベガスが、絶対安全とは断言できなくても、ヒャッハーな無法地帯かというと、そうでもなく、立派な『一大観光地』として回ってます。

それらの『メリット』を一切考慮せずに、単純に、『カジノ=法の秩序が及ばない、悪の巣窟』と決めつけるのは、いかにも短絡的で、視野が狭いと言わざるを得ません。オリンピック、さらにはその後の万博も見据えて、より多くの外国人観光客を呼び込みたいなら、別にカジノの1つぐらい、日本にもあっても、全然問題ないと思うんですけどねえ? まして、カジノが出来ることで、国全体のイメージが悪くなる、なんてことは、あるはずがないと思います。だったら、カジノがある他の国々はどうなんですか?

繰り返しますが、ギャンブルが嫌い、あるいは興味がないなら、完成しても、一切近寄らなければいいだけです。手を出すのも、出さないのも、その人の自由です。『拒否する自由』を持っていることを、執拗に反対していた人々は、どこか忘れているように思います。僕は嫌いな方なので、後にも先にも、行く事はないでしょう。それでいいんです。

課題はいくつかまだあるにせよ、『新しい観光名所を作ろう』というだけのことに、ヒステリックに反対する人は、もうちょっと、落ち着いた方がいいんじゃないですか? というのを締めにして、この辺で。

んじゃまた。

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