ラーメン屋の店名に、学歴偏重社会の一端を見た。

日記
この記事は約3分で読めます。

どうも。フジカワです。今日は朝から、精神的調子が、あまりよくないというか、むしろ相当悪いです。皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて。タイトルの話を。昨日、ブックオフへ行った帰りのことです。バス停のすぐ側に、一軒のラーメン屋がありました。店名がすごかった。ズバリ、『東大』。当然、東京大学のことです。店の入り口にある能書きを読むと、『目指すは、ラーメンの東大』とありました。

それを見た瞬間、僕はすごく微妙な気分になりました。なるほど確かに、東大と言えば、日本の大学のトップです。ただし僕は、いかに東大を出ようとも、そこに至るまでの、各人の努力は否定しませんが、それが即ち、彼、ないしは彼女が、『頭がいい』とは認めません。

まあ僕も、かつての知り合いに、東大卒の人間がいたので、あまり悪し様には言いたくないのですが、東大卒の人間が持っているのは、『知識』だけであって、『知性』ではありません。もっと悪く言えば、単に記憶力がいいだけです。実際、あの未曾有のカルトテロ集団であった、オウム真理教の信者の中に、東大卒を初め、世間一般に言うところの、『高学歴』な人間が、山ほどいたのが、その証左かと。

そのラーメン屋チェーンのトップは、よっぽど学歴コンプレックスを持っているか、『知識』と『知性』の違いが分かってないか、『東京大学』というものを、よほど盲信しているか、いずれにせよ、あまり賢明ではないな、と思いました。

とかく日本の教育は、『とりあえず詰め込んどけ』というタイプですから、いかに高学歴であろうとも、世界では通用しません。まあ、今現在の、実際の教育現場がどうなのかは、寡聞にして知らないのですが、日本人が『ディベート(議論・討論)』が、まるで苦手なのが、その最たる例かと。

僕がこんな所で書いたところで、『東大卒の人間=偉い』という風潮は、東大の存在意義がよっぽど凋落しない限り、変わらないでしょう。

僕は、『どこの大学に入るか』よりも、『その大学で、何を成すか』が、より重要だと思います。ぶっちゃけ、大学でいかに学士号を取ろうとも、一般社会では、ほぼ役に立ちません。大学時代、というのは、最も輝いていて、かつ、最も愚かで、そして、いかなる失敗も出来る、最高のモラトリアム期間です。

『言われるままのお勉強』しかできないで、頭でっかちになって卒業しても、そんな奴は、クソみたいにつまらない人間です。『勉強そのものの重要性』を、もちろん否定はしませんが、つまりは、『応用力』と『柔軟性(人間性、とも言い換えられます)』を養わないと、また悪く言えるなら、『欠陥人間』ばっかりが量産されます。

つまり僕が言いたいのは、『目的のないお受験』なんぞ、クソクラエということです。ネームバリューだけで大学を選んで、『入った後』のことを考えないのは、大学にも失礼ってもんです。

そして、『個人の人間性』を一切見ずに、『どこの大学を出たか』だけで、応募者をふるいに掛ける、各企業の採用体制にも、大いに問題があると、僕などは思います。

んじゃまた。

応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 オヤジ日記ブログ アラフォーオヤジへ
にほんブログ村

エッセイ・随筆ランキング

コメント

タイトルとURLをコピーしました