『番長』君の思い出話。

日記
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学校現場で、子どものイジメがなくならないのは、多分すごくシンプルで、2つに集約できると思うんですよ。1つめが、同じ兵庫県民として恥ずかしい話ですが、明石の学校であった、『教職員同士でのイジメ』を筆頭に、子どもの範となるべき大人が、率先してイジメをやってるから。2つめは、『イジメは立派な犯罪である』という教育がされてないこと。誹謗中傷は、名誉毀損、ないしは侮辱罪ですし、ゆすりたかりは、恐喝罪。いわれのない暴力は、暴行罪です。僕は間違ってますか?(挨拶)

と、いうわけで、フジカワです。僕は、小中高の12年間、超いじめられっ子だったわけですが、今にして思うと、よく不登校になったり、自殺とかしなかったなーと思う今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。

で。年の瀬と言うことで、今年は、いつもは定型句を印刷するだけの年賀状に、どういった気まぐれか、個々人に宛てての一筆を添えることにしました。僕は超悪筆なので、かえって見栄えは悪くなりましたが、少しでもこっちの気持ちが伝わればと思ってます。

ただ、『連絡を取りたくても、全く消息不明の旧友』というのもいまして、その筆頭が、中学高校(一貫校でした)で、共に過ごした、S君です。彼の見た目は、かなりコワモテで、ズバリ、当時のあだ名は『番長』。実際に、学年を支配していたり、不良だったわけでは、全然ないんですけどね。

そのS君は、見た目には全くそぐわず、と言うと、多少本人に失礼ですが、可愛い女の子のイラスト、今で言うところの『萌え絵』を書くのが大変上手で、同時に、かなりのミリタリー好きだったこともあり、ヒトラー以下、ナチスの面々を、プリティな女の子に仕立てて、『彼女ら』がドタバタする、4コママンガを頻繁に書いてました。今でこそ、擬人化、女体化は、全然珍しくないですが、時代は80年代です。彼は、先端を行ってましたね。ある日なんかは、エロマンガの一コマを、きれいに模写して、僕にこっそり見せてくれたこともありました。

ちなみに、その『ナチス女体化』の、4コママンガの原作(と言うか、元ネタ)を考えていたのは、他ならぬ僕で、あれが僕の、創作者としての、最も古い活動になります。先生まで巻き込んで、同人誌を作ろうという計画もあって、サークル名は、ヒトラーの『第三帝国』をもじって、『第四帝国』としてました。

ただ、本を作って即売会に出ようという夢は叶いませんでしたけど、当時中学生ですよ? 今でこそ、絵心や文章力の突出した人間は、そのぐらいの歳でも、立派に作品を仕立て上げることがで来ますが、その頃はまだ、マンガやアニメというのは、今ほど市民権を得ていなかったんです。

たとえば、こんなことがありました。中学で、僕が、他のクラスメイトに、「マンガを読むのが好きだ」と言うと、いっせいに取り囲まれ、あからさまな好奇、侮蔑の目で見られ、口々に、「マンガなんて、どこが面白いんだ?」と、『異端尋問』されました。

まあ、あの当時、僕をバカにした連中は、曲がりなりにも一応は、進学校で、ガリ勉タイプが多かったのを差し引いたとしても、なんてクソつまらない奴らだったんだろうと思いますけどね。マンガを笑う者は、マンガに泣くのです。

そんな、『同志』とも呼べたS君とも、高校を卒業すると共に疎遠になり、今は、どこで何をしているのか、まったくもって知る事は出来ません。当時は、携帯電話なんか、影も形もなかった時代ですからね。

他にも、高校時代の同級生で、まあぶっちゃけ『ヲタ仲間』だった、F君や、K君なんかもいて、その2人も絵心はあったんですが、社会に出るにつれ、絵を描くことも少なくなり、恐らく今は、『描け』と言っても無理でしょう。

例外がN君で、彼は、高校の途中から、美術学校に通い、今やいっぱしの、と言うか、かなり有名な、3DCGアーティストになってます。誰なのかは伏せますが、国営放送の『えいごリアン(二期)』のキャラデザを務めたぐらいの、有名人になりました。同期の誉れです。

話は、S君に戻るんですが、少年期から、あれだけの才能があったんですから、それが埋もれてしまった、ないしは失われてしまったのなら、業界的損失です。ただしまあ、本人の人生ですから、誰にも口出しはできないのですが、今はただ、消息が知りたいです。多分、もう無理だとは思うんですけどね。残念ながら。

僕の中高時代は、決していい物ではありませんでした。しかしながら、彼ら『同志』達の存在が、確かな希望だったことは確実です。

弱っちかった僕を支えてくれた、彼らに、最大の感謝を。皆様も、友情は大事にしましょう。

んじゃまた。

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