先日退会手続きを踏んだ、例のキワッキワのマニア向け動画サイト。なんで退会後も来月中旬まで使えるんだと思ったら、単に思ってたより1日早く、既に更新課金されていたからだという(挨拶)。
と、いうわけで、フジカワです。僕みたいなのにとっては、バレンタインデーというのは「糖尿病患者でも、特別に(良識の範囲内で)余剰の糖質(チョコレート)を食っていい日」でしかないと思うんですが、そんな日曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて。タイトルの話なんですが、今日は亡父の命日です。もう9年前の話になります。死人に鞭打つつもりはなくとも、大変抑圧的なというか、強権的というか、ぶっちゃけりゃあ意固地と偏屈とへそ曲がりを極限まで煮詰めきった「めんどくさい老人」の典型でしたので、確かに死んだ時は悲しかったんですが、それ以上に「ああ、これでもう、常に(父親の)ご機嫌をうかがわなくていいんだ」と、安堵したものです。
皆様も、少し想像してみてください。「常に何かに対して怒っているのがデフォで、しかも超ワガママ」な人間が家庭内にいて、毎日毎日絶え間なくご機嫌を取らねばならないのが、いかに大変であるか。
余談ですが、もういつ死んでもおかしくない、という病室でのことでした。家族一同が集まって沈痛な空気の中、やおら母親が僕に向かって「あんた、喪服買ってきなさい」と、極めて冷静に言ったのが忘れられません。
結局、すぐに姉の車に乗って「洋服の青山」まで行って、その場で喪服一式を買ったわけですが、女性というのは徹底したリアリストなんだなあ、と、つくづく思ったものです。
んで、死んだのがバレンタインデーの夜。葬式の日が母親の誕生日、しかももう少しで金婚式だったのに、という、息子が言うのもなんですけど、ほとほと気の利かない最期でした。
重ねて、死人、まして仮にも父親をあまり悪し様に言いたくはないのですが、やはり亡父は僕にとって最高にして最悪の反面教師でした。ああはなるまい、とは思えども、なんか最近は僕自身「父親に似てきたかもなあ」と時々思うのでなんだかな、と。
これも単なる推測でしかないのですが、亡父もおそらく精神を病んでいたのだと思います。さもなくば、いったんキレた時の見境のなさが説明できません。それぐらい恐ろしかったと思って頂ければ。
まあまあ、繰り返しますように、9年前に亡くなったんです。まさか今さらひょっこり生き返るなんてことはありえませんから、今は今で、静かになった自宅でひっそり暮らしていきゃあいいんですけどね。
とりあえず合掌。おせっかいながら、あの世でも未だに、周囲に迷惑をかけてないかだけが、ささやかな心配です。
んじゃまた。
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