四半世紀、か……。(日記)

日記
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最近毎晩、幻聴(耳鳴り)が激しくて、寝付きが相当悪いのが悩みです(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。「耳鳴りだったら、耳鼻科なんじゃ?」と思われる方もいらっしゃるかも知れませんが、既に耳鼻科は受診済みであり、器質的には何の異常もなく、「精神面から来ているものだ」という診断を受けております。皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて。1.17です。皆様もご承知の通り、1995年の今日、阪神淡路大震災が発生しました。当時僕は二十歳。『その瞬間』のことは、今でも鮮明に覚えています。早朝、(午前5時46分)、とんでもない揺れが来て、ベッドから転げ落ちたんですよ。「地震やで!」と親が叫びましたが、そんなもんは分かってるわけで。

僕が住んでいる伊丹市も、確か、震度7だったはずです。その後、徐々に明らかになっていく被害の状況は、あまりに凄まじすぎて、逆に現実味が湧かないぐらいでした。例えば、僕の家のすぐ横には、新幹線の高架があるのですが、その一部が落下しました。野次馬の人々が、落ちた高架と、すぐ横の僕の家を見比べて、「なんでこの家、無事やったんやろう?」と不思議がってました。

一番被害が甚大だったのは、神戸市東灘区。つまり、僕が通っていた、甲南大学がある所です。大学も壊滅。在校生にも、多数の犠牲者が出ました。その中に、僕が演劇部で大変お世話になった、O先輩もいました。下宿が古い文化住宅だったため、下敷きになって亡くなった、とのことでした。

しばらく経ってから、先輩の実家である赤穂の方まで、葬式に参列したんですが、同期の先輩方が号泣していたにも関わらず、僕はその時に至るも、全然現実味が湧かず、涙の一滴も出ませんでした。

まあ、大変だったことを長々と書いても仕方ないのですが、もし後1つだけ書けるなら、その当時、僕は『ニューズウィーク』を購読しておりまして、あの雑誌、めくって1ページ目に、その週の、有名無名に関わらずいろんな人々の『印象的な一言集』が載っているのですが、震災直後の号では、被災者の生々しい声が載っていました。

25年経っても忘れられないのが、名もなきオッチャンの、以下の一言。

『あのクソッタレの報道ヘリを下ろしてくれ! 俺に使わせてくれたら、救援物資を運べるんだ!』

その時僕は、『報道する』事の善し悪しを、痛いほど思い知りました。『あまねく広くに伝える』事は、確かに大事ですが、同時にそれは、『最悪にして最高の娯楽を、視聴者に提供する』ことなんだと。

東日本大震災の時も思いましたけど、ひとたび『テレビ』を通せば、全ては『他人事』になります。事件や事故が悲惨であればそれだけ、『刺激的な娯楽』になるもんなんだ、と、つくづく思いました。前も書いたかも知れませんけど、ネットで見たんだと思いますが、「名称に『阪神』とつくだけで、お笑いっぽく聞こえる」と、どこかの関東の人が言ってました。

所詮、そんなもんなんです。自分の身に危険が降りかからなければ、あるいは、現地を自分の目で見ない限りは、全ては『他人事』なんです。

四半世紀経って、震災を知らない世代も増えてきました。風化はさせてはならないとは思いますし、防災・減災の取り組みも、必須です。ただし、多少物騒かつ、縁起でもない話ですが、ひとたび気を緩めた頃に、また来ると思います。いずれ、南海トラフの巨大地震が起きる、と言われ続けて久しいですが、ガチガチに備えを固めてる人なんて、まず皆無でしょう。

僕は、次の巨大地震が起きて欲しい、などとは、微塵も思っていません。そこだけは誤解のないようにお願いいたします。ただし、『いずれまた来る』と、『心構え』だけでもしておいた方が、たとえ実際の備えがおろそかであろうと、まだマシだと思います。

何はともあれ、O先輩含め、犠牲になられた方々に、合掌。

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