庭師にジョブチェンジしつつ、国歌について考えてみた。

日記
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一文字違えば大違いシリーズ! ロダンの『考える人』が、『考えるニート』だったら、全く評価されなかったと思う。まあ、アレが作られた時代に、『ニート』という言葉はありませんでしたが(挨拶)。

どうも。フジカワです。来週の月曜日に、いよいよクーラーの設置工事業者が来るので、今日はその下準備に、室外機周辺に、好き放題に生えている竹の伐採をやってました。竹は、切っただけでは収まらず、所定のゴミ袋に収まるようにするべく、さらに細かくする作業が、一番面倒くさかったです。

黙々と作業をしていて、その間、ふっと脳裏をかすめたことを書いておきます。もう、脈絡もヘッタクレもないのですが、僕は基本的に毒電波で動くので、まあ、ゆるっと読んで下さいな。

日本国の国歌は、当然、『君が代』です。ところが、世の中には、この国歌を、親の仇のごとく嫌う人々というのもいます。なぜ嫌うのかは、多分、その手の人々は、僕とは根本的に相容れない思想だと思うので、調べる気さえ起きないのですが、僕の疑問は、いたってシンプルです。

あなたがたが、『君が代』が嫌いなのは分かった。じゃあ、なぜ、『代案』を出さないのか?

僕は今まで、『君が代に代わる、新しい国歌を作ろう! あるいは候補を作ったから、これにしよう!』と言った運動があった、あるいは今でもあるという話を、45年生きてきて、寡聞にして、一度たりとて聞いたことがありません。草の根で、あるのかも知れませんけどね。

そりゃまあ、『言論の自由』は、(一応)憲法で保障されてますから、誰が、何に対して、どんな主義主張を持とうが、それは自由です。しかし、何かに反対する場合、代案を提示するのが、議論の大前提です。それなしで、好き放題に文句を言ってもいいのは、せいぜい、反抗期ぐらいまでです。

『君が代を歌わされたことで、精神的苦痛を受けた』などとのたまう人間は、僕に言わせれば、幼稚なだけです。ついでに、そんなに自分の国が嫌いなら、さっさと出て行けばいいのに、そんな根性もない。

いつのころからでしょうね? 日本において、『愛国心を持つ』事が、『右翼的』と見なされるようになったのは。他の国の人々からすれば、実に奇妙に写ると思います。『日本にしがみついて、国の庇護を受けつつ、国に文句を垂れる』。『親と縁を切る根性もなく、親の庇護を受けつつ、親に反抗する』。ほら、反抗期のガキと、どこが違うのでしょうか?

僕自身は、『一片の疑いもなく、日本という国、及び、日本人の全てが好き』なわけではありませんが、自分が『日本人』であることには、誇りを持っています。こんな当たり前の意識に、すぐさま『右翼的』のレッテルを貼りたがる人間は、どうかしているというのが、僕の個人的考えです。

んじゃまた。

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