今日は広島原爆忌なので、色々と、超個人的な意見(=偏見)を書き殴ってみる。

日記
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どうも。フジカワです。唐突ですが、人間にしろ、組織や団体にせよ、『一度受けた汚名』というのは、完璧に払拭するのは、ほぼ不可能だと、僕は思っています。今日から始まった、夏のセンバツですが、高校野球で、僕が未だに忘れられないのが、もう数十年前の話ですが、あれは確か、明徳義塾高校だったはず、そこが、当時から『超高校級スラッガー』として名を馳せていた、かのゴジラ松井(松井秀喜)を、甲子園での勝負において、全打席で敬遠したことです。以来。『明徳義塾高校=卑怯者』という意識が、僕の中に根付きました。どっちが勝ったのかまでは忘れましたが、試合後、勝負をさせてもらえず、悔し泣きをしていた、若き日の松井氏の姿が、今に至るも、僕の脳裏に焼き付いています。僕も、人のことは全然言えた義理ではないのですが、人間、うかつなことはできんもんです。『悪事千里を走る』と申しますし。皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて。枕が長くなりましたが、今日は、言わずもがなの、広島原爆忌です。なので、『原子力』、あるいは『核兵器』という物に関して、思いついた端から書いてみます。

もはやお題目レベルですが、日本は、唯一の核被爆国です。核兵器の恐ろしさは、僕も、広島の原爆資料館へ行ったり、あの名作マンガである『はだしのゲン』を小学生の頃に読んで、一応知っています。大前提として、僕は、核兵器という物に対して、断じて肯定的なわけではありません。

日本人、特に、被爆地の方々が、核兵器に対して、過剰というか、ヒステリックなまでに、拒絶反応を示すのは、分かります。しかしながら、今の日本は、アメリカと同盟を結び、『核の傘』に守られているのが現状です。

これ、矛盾していると思いませんか? 『核兵器の根絶を!』と、必死で言ってる自分の国が、『核の抑止力』で守られている現状。もし、真に『核兵器からは完璧にオサラバしたい』と思うなら、日米同盟そのものを、破棄すべきだと思いませんか? 僕は、45年生きてきて、『核の傘から抜け出すために、日米同盟は解消すべきだ!』という主張をしている人を、寡聞にして聞いたことがありません。素朴なまでに、不思議な話です。

次。これは、僕がまだ、大学生の頃です。当時の僕は、演劇青年だったわけですが、特に好まれていた劇作家は、鴻上尚史氏と、つかこうへい氏でした。んで、その、つか氏の作品に、『広島に原爆を落とす日』という物がありまして、僕の部も、僕は直接関わってませんが、先輩方が、過去、それを上演したことがあります。

んで、呆れたのが、その公演に、マスコミ(確か、朝日新聞だったはず)が、取材に来たことです。タイトルのセンセーショナルさだけに釣られて、中身なんかどうでもいい、といった感じで、僕のマスコミ嫌いに拍車を掛けてくれたものです。さすが、かつて、北朝鮮を『理想の楽園』と書いた、大新聞社様は、ひと味違うなと思いました。

3つめ。原発について。もう一度言います。これは、僕の個人的意見です。今の世間的には、『原発をなくそう』というのが大勢だとは知ってますが、僕は、原発の再稼働については、『消極的に賛成』の立場です。もちろん、僕とて、あの、福島の原発事故を忘れたわけではありません。お上というのは、都合の悪いことは隠蔽するものですから、被曝によって、お亡くなりになった方も、公にされていないだけで、相当数いらっしゃるはず。

それでも、『現代社会』というものを、ちょっとでも俯瞰してみれば、日々、超膨大な量の電力を消費しているのが現状です。電気が止まる=社会が麻痺する、という現実の中、さらに、火力や水力といった、他の発電方法に限界がある以上、発電能力の高い原発は、僕が思うに、後20年か30年ぐらいは、ビクビクしながらでも、使い続けるしかないと思います。原発が再稼働すれば、電気料金が下がるわけですし。当然、原子力に替わる、同等かそれ以上の、クリーンな発電方法の開発は、急務ですけどね。

原発と言えば、僕の目に、一際滑稽に映るのが、『原発で作られた電気は、使わないのがいい』と思い込んでいる、『エコ』な人々がいると言うこと。発電方法が何であれ、いったん発生した『エネルギー』が、汚れているかどうか、なんて話がありますか? もし、『原発で作られた電気を、たとえコンセント越しにでも使うことで、自身も被曝のリスクがある!』とか言うなら、まだ分かります。

でも、そんな事実がありますか? 電力が放射線を帯びて拡散する、なんてことはないはずです。つまりは、その手の『エコ』な人々は、自己満足、あるいは、自己陶酔してるだけです。一生オナッてろ、と思います。

そりゃまあ、原発を使えば、いわゆる『核のゴミ』が出ます。中間処理施設、あるいは、最終処分場を巡って、国と、候補地になった自治体が、対立してますけども、あれ、要は、『自分は嫌だ』というだけの話で、英語では、 “Not In My Back Yard”(我が家の裏にはゴメンだ)の頭文字を取って、『NIMBY』(ニンビー)と言います。詳しくは、Wikipedia参照。

便利さには、代償がつきものです。『どこか』が、汚れ役(貧乏くじ)を引かないと、回る物も回りません。え? じゃあ僕は、極端な話、住んでる伊丹市に、核のゴミ関係の施設が出来てもいいのかって? 答えはイエスです。そりゃまあ、放射線漏れの対策は万全にして欲しいですが、日々『電力の恩恵』を存分に受けてるんですから、ちょっとぐらいの代償は、負うことになっても、仕方のないこととして、受け入れます。

世間は噂で動きます。もし、『オラが町』に、核関連施設が出来た場合の、風評被害が気になるのも、分からんでもないです。ただし、永遠に駄々をこねられる道理はありません。

確かに原発は危険です。ただ、僕に言わせれば、『原発反対!』と、ヒステリックになっている人々は、普段、自分達が、意識的にせよ、無意識的にせよ、いかに大量の、むしろ膨大な『電力』というものを消費して、日々を生き『られて』いるかを、ちょっと冷静に考えた方がいいんじゃないかと思います。

ふー……! とりあえず、今日のうちに書きたいことは、全部書いたので、スッキリしました。んじゃまた!

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