世界よ滅べ、とまでは言わないけれど。後、精神病院での思い出話とか。

日記
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どうも。フジカワです。2時間あまり、寝室で横になっていたのですが、意識の混濁っぷりが治まるどころか、加速装置を着けて、もうどうしようもない所まで逝ってしまった感がある今日この頃ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

今なら、北朝鮮が核のボタンを押してもいいから、世界よ滅べ、とまでは言いませんが、相当気分がやさぐれています。それに、仮に北がミサイルをぶっ放しても、自衛隊が迎撃するでしょうけどね。

つい先ほど、僕宛てに書留が来ました。この間、再申し込みした、イオンカードセレクトの書類一式です。思ってたより早く来たもんです。が、99.9%落とされるであろう申し込みをすることほど、虚しい物はありません。申し込んだ手前、一応は、必要事項を埋めて、本人確認書類を添えて、ポストに投函はしましたが。ちなみに、ポスト(徒歩3分)に行くというだけでも、疲労感を感じました。そんなに家から出たくないなら、いっそ入院というのも手なんですけれども、『他者との接触』が、過剰なストレスになる現在、訪問ヘルパーさんに依頼したり、入院したりは、かえって逆効果です。

15年前の僕は、一時期、精神病院の閉鎖病棟に入ってたわけですが、あそこでの暮らしほど、辛かった物も、そうはないと思います。なんせ、閉鎖病棟というのは、文字通り、『人間用の檻』ですからね。寝るのも起きるのも、食事も排泄さえも、一部屋で完結『させられて』、ついでに、壁の一面が、『檻』であることを象徴するかのように、格子になってるわけですが、その外から、定期的に、いかにも屈強な看護師さんに、『監視』されてましたし。

んで、しばらく、その『檻』の中にいた後、開放病棟の大部屋に移ったのですが、同室の患者さん達と、全く打ち解けられず、一日中、一言も喋らず、ずーっと部屋の隅っこで、息を殺して過ごしてました。

まあ、より正確には、その当時の僕は、人格分裂を起こしていて、ひたすら、『自分の中の、複数の人格』との対話だったわけですが。いずれにせよ、辛かったことには変わりありません。

ちなみに、僕が入院していた病院は、もう、家族からも見放された、極めて重度の患者が入院する、悪く言えば『姥捨て山』の様なところでして、治療方針も、『とりあえず一番キツい薬を出して黙らせとけ』というものにしか思えず、今の僕が、家族と話す時さえ噛みまくるのは、その時に処方されていた、強烈な薬の後遺症です。

もうちょっとその話をすると、その当時の僕は、退院後も、睡眠障害を起こしており、夜寝ても、夜明け前に目が覚めるとか、ザラでした。ある時、さすがにこれはおかしいと思って、薬の明細を持って、近所のかかりつけの内科に、セカンドオピニオンを貰いに行ったら、そこの先生は、明細を見るなり、血相を変えて、「今すぐ薬を変えて貰いなさい!」と言いました。

んで、入院後も通院していた、その病院の先生(ちなみに、院長先生)に、事情を説明して、正式な紹介状を書いて貰って、晴れて転院が叶ったわけです。あの時ほど、『一人の医者を盲信しない』事の重要性を噛みしめたこともありませんでしたね。

今でも十分辛い現状の僕ですが、あの病院には、それよりはるかに上を行く患者さん達が、誰にも顧みられることなく、ただただ強烈な薬を飲まされて、今なおひっそり暮らしているのかと思うと、世の無情を感じます。

とまあ、過去にこういう経験をしているので、僕にとっては、入院することが、必ずしも、いい治療法にはならないのです。繰り返しになりますが、現在は、『他者との接触』が、ものすごいストレスになってますし。

思い出話を書いてみたら、不思議と気分がいくばくかマシになりました。食事に疲れを感じるのは変わってませんが、早いところ、抗うつ剤を飲みたいので、今から飯にします。

んじゃまた。

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