今日は毎度の水汲みの日。あと、応募の余韻の話。(日記)

日記
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なんか知らない携帯番号から自室の固定電話に着信があったかと思ったら、ドコモ系列の光回線の営業電話であり、「ご家族にドコモの携帯をお使いの方は?」と聞かれたので、「一人もいません」と答えたら、即座に話が終わりました(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。ささやかなこだわりとして、日々使いまくるキーボードには少しお金を掛けているのですが、その妙なこだわりさえ捨てれば、1,000円未満で一般的なキーボードが買えると分かって「えー」と思った金曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて。昨日書いたとおり、懸賞小説は応募が終わりました。チェック用に印刷した原稿の束がまだあるので、シュレッダーに掛けたいんですが、ここ最近であまりに酷使したせいか、微妙に切れ味が悪い気がしました。なので、裁断するだけで刃のメンテナンスができるタイプのシートをポチったりしました。今朝になって妙な不安に駆られ、送信したPDFファイルが正しい物だったかどうか気になって、再度開いてみたりしたのは、まあご愛敬。

で。タイトルの話なんですが、今朝起きると、親が食卓の上にペットボトルをずらっと並べておりました。意味するところは、「水がなくなったので、汲みに行け」ということです。「今日すぐに行け。さもなくば備蓄がもうない」とのことで、午後になったら行ってきます。もう何周か回って「おぎゃあっ!」と言うほど面倒くさいんですけれど、一切の拒否権はないので以下略。

話は戻るんですが、その懸賞小説。ほんっとによくやったよなあ、と、他人事のように思います。先月末に初稿が上がった段階では、(規定フォーマットで)83ページだったんですが、推敲を重ねていくうちにどんどん増えて、最終的には101ページになりました。当然、内容に関しては先方さん(編集部)がジャッジすることですので、いかに僕が「よくやった」と思えども、もしかしたらそれほどでもないのかも知れません。

やや強引にいい方へ考えるなら、11年前の作品も、一次選考は通過したんです。ただし、「一次選考」というのは、「最低限、応募フォーマットに沿っているか?」だけをチェックするもんだと、随分昔に聞いたことがありますけども。

それでもやはり、今現在の己の精神状態を振り返った時、「なんかに取り憑かれたんじゃ?」としか思えません。憑依型ライターの本領発揮ですね。一応、「前の奴よりは、よりラノベっぽいだろう」とは思うんですが、くどいように、「自己判断」と「他者のジャッジ」は、まるっきり違う物です。

そりゃあ確かに、微塵も自信が持てない、あるいは書いた本人さえ「これはつまらん」と思うならば、ハナから応募なんてしません。自信過剰はタブーですが、過ぎた謙虚、むしろ卑屈もまた、褒められたもんでもないです。僕は僕なりに、カッツリテーマを決めて、「作品を通して訴えたいこと」の筋は通しました。もう若くないですから、感性がメインターゲット層とマッチしてるか? ってのは、結構疑問なんですが。

さあ。なんのかんの書かせて頂きましたが、終わったことをクドクド言っても、何にもなりません。期待も悲観もせず、ただ静かに年明けを待ちます。

んじゃまた。

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