どうも。フジカワです。「暇なの?」と聞かれれば、はにかみがちに「……うん」と答えます。
何の脈絡もないのですが、さっき風呂に入っていて、ふと思ったことを書かずにいられないので書きます。
続きを読むこれは、『エコロジー系に意識が高い』人々が好んで使うというか、少なくとも一昔前までは頻繁に耳にしていた言葉ですが、僕は『宇宙船地球号』という比喩が、どうにも好きになれません。
なぜか? 理由は大まかに2つあります。
1つめは、『地球という星が、人類だけの所有物である』と主張しているように思えるからです。
確かに、人間は、食物連鎖の頂点かも知れません。しかしながら、それがイコール、『この星で一番偉い』とは限りません。人間『のみ』を対象にして、他の数多の動物たちを、全て無視しています。こんな身勝手が通る理屈が、どこにあるでしょうか?
いやまあ、もしかしたら、生きとし生けるもの全てをひっくるめているのかも知れませんが、あまねく動物達が『望んで船に乗っている』かが疑問です。
2つめは、仮に僕も地球を『船』にたとえるのを、よしとしたとしましょう。でも『船』である以上、そこには、『役割分担という序列』が存在し、何よりもまず『船長』の存在が不可欠です。
さて、『宇宙船地球号』の『船長』は、いったい誰なんでしょうか? まさか、『全員が船長だ』なんて言いませんよね? そんな事を言った日には、まさしく『船頭多くして船山に上る』ですよ。
ものすごーく穿った見方ですが、この星を『船』にたとえた時点で、その人間は『船内』での序列=差別を容認し、かつ、これはもはや暴論ですが、船長=強権的な独裁者の出現を待ち望んでいるかのように思えます。
僕はこの言葉も、いい加減偽善的で嫌いなのですが『人類皆平等』というスローガンとは、まるで真逆です。
もっとも、僕に言わせれば、『社会』という『共同体』が世界中で構成されている以上、そこには厳然たる、そして、どう足掻いても払拭できない『区別』と『差別』が存在します。
これも極論ですが、もし全てを平等にしたければ、世界は資本主義を捨てて、徹底した共産主義を信奉するべきです。まあ、『完璧な共産主義』という思想自体単なる幻想というのが、僕の考えですが。お隣の中国を見てればよく分かります。まああそこは社会主義ですが、似たようなもんでしょう。
話が膨らみすぎましたが、どうやら僕はどこまで行っても『意識高い系のエコな人々』とは、相容れないようです。
んじゃ、もういい時間なので、おやすみなさい。
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