どうも。フジカワです。今日は、定例の精神科通院日でした。
続きを読む今現在、僕が困っているのは、『全てに於いて、現実味が湧かない』事です。極端な話、周りの他人が全員、役者かロボットに見えて、自分自身でさえ、己をどこかから俯瞰しているような感覚なのです。
これは、一般的に『離人症』と呼ばれ、僕のような、統合失調症の患者には、割とよくある症例の1つだそうです。そのことを、今日の診察で、ここ最近の寝覚めの悪さと共に、先生に訴えましたら、薬が増えるのかと思いきや、逆に減りました。具体的には、寝る前のレボトミンが、20mg(合算)から、15mgに。先生が言うには、とにかくレボトミンという薬は、『強烈に抑えつける』薬なので、それを減らして、2週間様子を見ましょう、とのことでした。
んで、帰宅は昼頃。飯を食って、一息ついて、今です。その際、親が、スマホの扱いについて質問してきたのですが、『電話を掛けるにはどうすればいいのか?』という、基礎以前の質問で、本格的にボケてきたのかと、ちょっと心配になりました。
なぜなら、親が使ってるのは、いわゆる高齢者向けの『かんたんスマホ』なので、電話機には、発信のための物理キーが付いてます。そんなところさえ見ないで、人に説明されないと分からないとは、と、そりゃ不安にもなりますよ。
ところで、帰りのバスに乗ってる間、また少し考えていました。乗り合いバスにおいては、車内アナウンス、及び、運転手さんが、しつこいぐらいに、『お降りの際は、扉が開くまで、そのままでお待ちください』と、言われます。
あれ、なぜだか考えたことがありますか? もちろん、車内事故防止のためですが、僕はもうちょっと違う角度から見ます。バスに限らず、普通の車でもそうですが、事故を起こした場合、いかに被害者に非があろうとも、責められるのは、運転している側です。
あわてんぼうのお年寄りが、まだ動いていて、揺れる車内で、下手に移動して転倒し、ケガをした場合、どう考えても、悪いのは、注意を守らなかった乗客の側ですが、責任を負わなければならないのは、バスの側です。当たり前だろ、皆さんは思われるかも知れませんが、僕には理不尽に思えます。
その『理不尽な責任』を負いたくないがために、バスでは、くどいぐらいに、『止まるまで動くな』と注意するのだと思います。また、年寄りというのは、往々にしてワガママですから、『自分の不注意、責任』を、認めたがらないものです。さらに、多数の年寄りは(全員がそうである、とは言いませんが)、人の話を聞きません。そりゃしつこくもなりますって。
そんなことを考えているうちに、家の近くのバス停に着いたので、降りたんですけどね。もちろん、ドアが開いてから席を立ちました。今日は、もう少ししたら、毎週水曜日恒例の、コープへの買い物代理が控えてます。面倒くさいのですが、僕に拒否権はないので以下略。
んじゃまた。
コメント