通り魔ほど厄介なものはないな、という。

日記
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どうも。再度、フジカワです。さっき昼飯を食っていて、BGVとして国営放送のニュースをつけたら、川崎市の方で、通り魔事件があったとのことで、それ一色でした。

犯人は自殺したらしいですが、この手のニュースを見るにつけ、つくづく思います。まあ、世の中の全てが呪わしくなる気持ちは、僕も時々あるので、分かるっちゃ分かります。また、自己嫌悪が極限まで行って、死にたくなる気持ちも、同じく僕にもそんな時期がたまにあるので、一応分かるとしましょう。

ただ、どうせ自殺するなら、一人でひっそり死ねよ、と、強く言いたい。無関係の他人を巻き込むなんぞ、論外中の論外です。はた迷惑どころの騒ぎじゃないですよ。

ところで、通り魔事件と言えば、皆様の記憶にもまだ新しいとは思いますが、かつて、秋葉原で、無差別殺傷事件がありました。酸鼻を突くこと極まりない、あの事件を、正当化するつもりなんぞ毛頭ありませんが、僕が不思議なのが、その後の『言葉狩り』について。

具体的には、犯行に使われたのが、『ダガーナイフ』だったため、事件後、『ダガー』という言葉が、いっせいに『狩られ』ました。特に、当時の、東映戦隊ヒーロー番組(戦隊名は忘れましたが)で、戦隊が使う武器の1つに『ダガー』という言葉を含む物があったため、急遽、武器そのものの名前が変更になったという逸話は、ご存じの方もいらっしゃるかと。

確かに、『事件を連想させるから』という理由かも知れませんが、過剰反応に過ぎたのではないかと、今にして思います。今日の、川崎の通り魔事件での凶器は、普通の包丁だったらしいですし、過去の同様の事件にしても、凶器が包丁だった場合、『包丁』が規制されたという話は、聞いたことがありません。

前述の『ダガー』にしても、もし、『子どもが真似するから』という理由なら、おもちゃメーカーにクレームを入れる前に、親がその辺をしっかりと締めて、「絶対真似しちゃいけませんよ」と言えばいいだけだと思うのですが、いかがでしょうか?

『事件を連想させる物は、全て抹殺する』という、言わば、『臭いものに蓋をする』的な『自主規制』の嵐は、僕の目には、世の中の親が、責任を全て外部に押しつけて、『自分の手による、子どもの教育』を放棄しているように見えてなりません。また、制作者の側も、萎縮しきってるように見えます。

憲法で『表現の自由』を謳っていても、『自主規制』という、自縄自縛で『不自由』にしている。おかしな話だと思います。

んじゃまた。

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