今日が猫の日であるならば、拙作を宣伝せぬわけにはいくまいて(もっともらしい理由)(挨拶)。
声を失った猫(不二川巴人) - カクヨム
ありふれた三毛猫の、ささやかな奇跡のお話。
と、いうわけで、フジカワです。今日の仕事は1時間が例のアレ(難しいの)で、残りの3時間は超ウルトラ地味な内職で、じゃあ逆にと創作方面を考えていた火曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。
さて。タイトルの話なんですが、やっぱり続くよ太宰行脚。今日は『散華』を読了しました。一言で言えば、「特攻隊に選ばれた友人に、手紙で『俺も死ぬからお前も死ね』と言われて、『よし、自分は文学に死ぬ!』と奮い立った話」です。
内容からして、戦時中に書かれたものであることは容易に想像できるので、Kindleストアの解説にあった、「時代におもねった」というのは、多分その時の国内の状況なんじゃないかなーと思います。
が、そこで終わらないのが太宰。グンバツ(あえて俗っぽく言う)な表現で自己の見解を織り交ぜ、(恐らくあったであろう)検閲も華麗にパスしただろう作品に仕上がってます。
しかしなー、どんだけ読みあさっても、ミジンコの目玉ほども勝てる気がしないんだよなー(いや、そもそも、文豪とアマチュアを比べるなって話ですが)
数多の美しい表現を、読んで即自分のモノにできるか? って聞かれりゃ、まず無理な話ですし、仮に丸のまま剽窃しても、絶対読者にバレますし。ただし、じゃあ読むこと自体が無意味か? って話でもないわけで。難しいなー、おんなじ作者ばっかり立て続けに読んでるからかなー?
まあとにかく、明日は休みです。原稿をやるべきか、(逃避している)確定申告をやっつけるべきか、何にせよ、ちょっと頭が混乱してきてるので、明日になったら考えます。
んじゃまた。
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