バスに乗りながら、優先座席などについて考えてみた。

日記
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どうも。フジカワです。どうやら、『忘れた頃に、ひょっこり売れる』のが、メルカリの世界のようです。昨日、2点が新たに売れました。あとは、今日は朝から、幻冬舎さんからの返事を、ビクビクしながら待ってます。

さて。昨日は、タバコ屋へ行くためだけに、バスに乗って駅前まで出たわけですが、所要時間15分の間、ボケーッと考えてました。

公共交通機関の乗り物には、『優先座席』があります。当然、お年寄りや、身体の不自由な人達のための席です。

まあ、僕はたまに、どうしても座りたい時には、若干の後ろめたさと共に座りますけど、よっぽど車内にお年寄りなどの対象者がいない限り、いかにバスが混んでいようとも、普通の人は、誰も座ろうとしません。

みんな律儀だなあ、と思うのですが、僕は、それが即ち、『他の乗客全員が、思いやりに溢れている』とは思いません。

なぜか? これは、もうかなり前の話なのですが、阪急電車が、一時期、『全席優先座席です』と言って、車内から、『優先座席』の表示をなくしたことがありました。

その結果はどうであったか? 誰も席を譲らなくなり、座ることを必要とするべき人達が、逆に、とても困ってしまったという。

みんな、楽をしたいのは当たり前の話で、同時に、揃いも揃って、身勝手かつ、ワガママなだけなんだなあ、と、僕はその顛末を見て、しみじみ思いました。

結局、その阪急電車の取り組みは、空振りに終わり、車内にはまた、『優先座席』の表示が復活しました。

なぜみんな、優先座席に率先して座らないのか? その答えは、単に、『言われてるから、仕方なく従ってるだけ』というのが、実態のようです。

逆に言えば、『言われないと従わない』、『説明しないと分からない』、あるいは『説明しても分からない』、またあるいは、『基本的に話を聞かない』、もっと言えば、『全てに於いて機械的である』のが、大衆というものだと思います。

いくつかの例があります。一つ目は、僕が毎回、精神科の薬を貰う、調剤薬局には、無料のドリンクベンダーがあるのですが、紙コップは、両サイドの扉を開いて、自分で取るタイプです。扉の所には、それはもう大きな字で、『ここを開く』と書かれているにも関わらず、それを見ないで、右往左往している人達を、これまでどれだけ見てきたことか。

次に、これはバス内での話です。車内アナウンスで、しつこいぐらいに、『お降りの方は、ボタンを押してお知らせ下さい』と言われているにも関わらず、『乗り合いバスは、必ず全ての停留所に停まる』と思い込んでいたのか、ボタンを押さずに、目的地を乗り過ごす人々を、これまたたくさん見てきました。

『機械的』の例は、僕が通っている、精神科での話です。そのクリニックは、ボタンを押すとスリッパが出てくる機械があるのですが、待合室が混雑している時などは、スリッパが足りなくなり、その場合は、受付の人が、予備のスリッパを用意してくれます。

そのスリッパは、機械に入っている物とは、明らかに形状が違うので、無理に機械に戻そうとすると、詰まってしまいます。

形が違うことぐらい、一目見れば分かるのに、その違うスリッパを、機械に入れる人が、これまた多い。つまり、『このクリニックでは、スリッパは機械に戻す物』というところで、思考が止まってるんでしょう。これを、『機械的行為』と言わずして、何と言いましょうか?

僕もたいがい、人の話を聞かないタイプだとは自覚してますが、上には上がいるものです。

最も悪し様に言えば、そんな『機械的』な人々が、僕には、文字通り『ロボット』に見えます。

とことんまで貶められるなら、『人生』さえも『定められたレールの上』しか走れずに、漫然と日々を過ごす、『かわいそう』な人々にさえ見えます。

さて、いち狂人である僕に、こんなことを言わせる世間は、果たして『まとも』なのでしょうか?

なんかやけに偉ぶってますが、勘弁して下さい。書かずにいられなかったので。

んじゃまた。

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