3.11です。思うところは色々あれど、言葉を選びつつ。(日記)

日記
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精神病患者に「頑張れ」という言葉が禁句なのは、「もう頑張れないから」と「何をどう頑張ればいいのかの具体性に欠けているから」が主な理由だというのが持論です(挨拶)。

と、いうわけで、フジカワです。昼日中から疲れ果てていて寝室で横になっても、幻聴(耳鳴り)がそりゃあもうひどいので、ちーとも精神が休まらない木曜日、皆様いかがお過ごしでしょうか。

さて。まあ今日はどこを見ても「3.11」です。確かに10年という節目ですから、追悼の意を新たにするのは必要だとは思いますが、あまりにお涙頂戴もどうなんだろうと(個人的には)思います。

原発事故は人災の側面が大きいですけど、地震と津波は文句の持っていきどころがないですからね。「誰かのせい」にできるなら、とっくにやってますよ。仮に「犯人」がいたとしたら、そいつは百万回殺されても足りないとは思いますが。

僕だって、たまたま奇跡的に家も命も無事でしたけど、26年前の阪神淡路大震災の被災者です。「誰かのせい」にできない分、まさしく理不尽の極みですけど、災害に遭った被害者の心の傷ってのは、癒えることはないんですよ。

「忘れる」ことができるのは、災害と全く無関係だった人だけです。少しでも「経験」したならば、死ぬまで忘れられないでしょう。

ただ、僕は今にして思うと、3.11の被災者の方々にお詫びしないといけないのかも知れません。

「あの日」、僕はまだ東京にいました。住んでたアパートが木造だったので、揺れ方が半端なく、割と真面目に「死」を意識しました。

揺れが収まって慌ててテレビをつけると、見えたのは、冗談のような大津波のシーン。まさしく釘付けになりました。リアルタイムで悪魔の津波に人命が奪われているのに、テレビを通して知らぬ間に「消費」してしまっていたのです。そう。あたかもパニック映画のように。

その後で、すごく自己嫌悪に陥りました。まあもっとも「自己嫌悪」というのは「優しい」ものです。つまり「本当に痛い言葉」というのは決して自分の中から湧き出ることはなく、それが言えるのは「自分以外の他人」だけですからね。

ただただ、自然の驚異を目の当たりにして、誰が己の被災経験を重ねずにいられますか? いかなる言葉も意味をなさず、本当に哀しいときって、人は涙が流れないんですよ。現実味がなさすぎると、特に。ソースは僕。昨日書いた、26年前の震災で犠牲になった大学のO先輩の葬式に出席した折、確かに哀しいのに、一粒の涙も出ませんでしたから。

葬式の後、ご家族の方が酒席を用意してくださりまして。ほんの数日前に亡くなったばかりなのに、思い出話を肴に、不思議と酒が美味しかったのも覚えています。

バンドの「真心ブラザーズ」の楽曲で「高い空」というのがあるんですよ。そういう状況を歌った曲です。ちょっと音量が小さいですが、貼っておきます。

あと、名古屋勤務時代の盟友だった「関戸ゆいぎ」氏が、震災から10年を機に書いたという童話(短いビジュアルノベル)も紹介しておきます。災害の描写や、ちょっと残酷なシーンもあります。が、中身の濃い、正直才能に嫉妬すら覚えた作品ですので、皆様にもご覧頂きたく。

「くちなしむすめ」

余談ですが、この関戸さん。名古屋勤務時代に机を並べていた仲なんですが、(僕が退職した後)上司から「好きなものが作りたければ、同人でやれ」と言われて、本当に会社を辞めて商業同人の会社を立ち上げたというツワモノでもあります。

とか、色々書かせていただきましたが「3.11」の被災者の皆様へは、僕は多くを語りません。己とダブらせつつ、黙って心の中で手を合わせることにします。合掌。

んじゃまた。

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